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実生活について

卒業生からのメッセージ

もともとの俺は学校に行っていた。別にいじめられてたわけでもない。でも中2の3学期、突然学校に行けなくなった。行けないんじゃなくて行かないんだって言い聞かせてた。3年生になって少しは行けるようになったけど、行きたいって思えなくてサボりがちだった。いよいよ進学先を決めることになったけど、行けるところは県内の限られた高校か北星余市。
片親だった俺は家にも学校にも逃げ場がなかった。でも弱さを見せる強さがなくて、強がってしまっていた。北星余市に行くのも面白そうだったからって、周りには言ってたけど、本当は家にいるのが嫌すぎたからだ。

初めて親元を離れて寝た日。びっくりするくらい快眠だった。この調子だったらホームシックにもならないだろうって思った。

ホームシックになった。ここも面白いけど、地元の方がもっと面白いしって考えていた。なんなら学校辞めてやろうかとも少し考えた。夏休みまで耐えて帰った家は、すごい居心地がよかった。学校でのたった3ヶ月のことを母親に毎日のように話した。余市に帰る日は、嫌だったけど楽しみでもあった。

それでも学校はサボりがちだった。「朝、起きたくない」と「学校での面白さ」の勝負は、「朝、起きたくない」が圧倒的強さを誇っていた。
だから俺は学年末に補習を受けることになった。2年生には無事なれた。

2年になって「生徒会やってみたい」って思って、担任と話した。結論は見送るってことだった。今、思えば当たり前の結論だった。その時の俺は、性格悪くて捻くれてたから。

そのかわり修学旅行実行委員は全力でやった。どうしたらみんなが楽しめるかとか色々考えた。
このくらいの時期から学校が楽しくてしょうがなくなってきた。

そんな時コロナが流行り始めて、学校が4ヶ月休校になった。
最初は楽しかったけど、だんだんストレスが溜まっていった。ストレスが溜まった友達は公園のトイレの壁と喧嘩して手を怪我してた。
休校期間が明け、3年になってからは毎日が楽しすぎた。毎日何かしらの出来事が起きて、下宿に帰れば消灯時間までみんなで遊んだ。コロナでできないと思ってた行事もやることができて結構満足してた。
3年の最後の方は高校生活に悔い残らないようにしなきゃって思ってた。みんなで焚き火したり、未経験からバンド組んでみたりした。だから卒業式の前の日のやり切った感はヤバかった。

卒業式の日はこれまでの卒業式で考えられないくらい初めてボロボロ泣いた。最後の下宿のご飯も美味かった。
みんなと別れる時はなぜか全然寂しくなかったのに、千歳を飛び立った飛行機の中で急に寂しくなった。

卒業してからもみんなとは半年に一回くらいのペースで会ってるけど、何故か久しぶり感がない、長期休み明けた感じ。なんならこのまままた北星の生活始まりそうだなって、いつも思ってる。

今、保育士を目指して学生生活を続けている。中々しんどくて辞めたいなって思ったりするけど、今の俺は昔の俺が決めたことだから、昔の俺に大人しく従っている。なんなら楽しんでやろうって考えている。
そういう考え方を教えてくれたのは北星余市だから。

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