実生活について

卒業生からのメッセージ

病気持ちで生まれた私は病弱で学校へは、ほとんど行っていない。
そのため周りにもついていけず、余計登校しなかった。
病弱からくる弱さとは逆に、負けず嫌いの私は強くなりたいと言う葛藤から、周りに反抗や抵抗することが度々となった。友達は仲良くしてくれたが、ダラダラ遊ぶ毎日であった。

私の家はお寺で、教師でもあった父は世間体ばかりを気にし、学校に行かない私を攻め、両親は私の事で意見が合わず毎日喧嘩をしていた。
環境が田舎だったので近所や学校では特別目立った。度々「お寺の子だからしっかりしなさい」といわれた。その言葉に「俺は寺に生まれたくて生まれたんとちゃう」という気持ちになり、中学の頃そんな環境に身置くのが本当に嫌いであった。

そのうち進路を考える時期になり、漠然と高校へは行きたいとの意思はあった。しかし、県内で行ける所は無く、悩んでいた。そんな時、親戚の紹介で北星余市を知り見学に行った。
全く知らない所へ行く不安はあったが、この状況を変えるには余市しかないと決意した。

入学して間もなくトラブルを起こし、退学は免れたが謹慎処分となった。
その問題を通じて、本当の強さとは他を支える事だと教えてもらい、そして自分に出来る事はしっかりやっていこうと決意のような思いが湧いてきた。

その後、先生のアドバイスもあり、ボランティア活動など取り組んだ。
3年生の強歩遠足では50㌔を歩ききり、病弱な私でも完歩できるという自信に繋がった。
今、北星余市の生活を振り返れば、先生や先輩が本当の親のように真っ正面から向き合い一緒に悩んでくれ、時に本気で叱ってくれたからこそ今日の私があると思っている。

「人は1人では生きて行けない。。」

北星余市でお世話になった方に「君は寺の子だったら教誨師を目指せばいい」と勧めてもらい、その志を持った。教誨師とは刑による服役中の人にアドバイスする支援者の事だ。
その時初めて教誨師というものがある事を知ったのだが、私はあれだけ嫌いであったお寺の道に進みたいと思えた。

高校2年頃から必死で勉強に付き合ってくれた先生のお陰もあり大学に入れ、お寺の道に進み命の尊さを説き、困っている人に寄り添える僧侶を目指そうと今、修行している。

現代では命を軽んじてしまい、1人で生きていると思い込んでしまう所が増していると思う。
しかし1人では生きていない、他の人と寄り添い、時に助け助けられて生きている。本当にどうもこうもならない時にこそ寄り添ってくれる人がいる事を忘れないでほしい。

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