理念や指導方針

教員はいま

<文:校長・安河内敏>

本校は創立当初から、いわゆる偏差値の輪切りの中で、地域の公立学校へと行くことができなかった「15の春を泣いた」子どもたちの受け皿として存在しておりました。また、キリスト教主義の学校でもあり、「暗闇にあって星のように輝く」ために、ある時期、光の当たらない部分に生きる子どもたちに、ギラギラとした光というよりは、ともし火のような、しかしながら、長―く周りを照らし続けることのできる人間関係を築くことを目指してきたように思います。

自己責任、競争、成果主義などの追い込みによって、いじめ、自死、自尊心の低さなど、現在においても同じような問題が繰り返されているどころか、発達障がい、虐待、引きこもりの高年齢化などの問題が、新たに重複して表出してきています。そうした中で学校は何ができるのかを改めて考えなくてはならない時期に(遅いかもしれませんが)きているのですが、現実は新聞をにぎわせている相変わらずの状態です。しかし、私は学校だけではもはやこうした状況のなかで解決策のすべてを見出すことはできないと考えており、むしろできないからどうする?というところから始めるべきではないかと考えています。できない、というところから始めることで、なぜ?という問いが生まれ、どうする?というところへ早くつながるからです。それをできているという前提でいると、何も変わらないと思います。

本校では育ちに携わる機関・人と、垣根を作らず連携し続ける方向に舵を切ろうとしています。数多くの子ども・若者を支援するNPOや行政の機関との出会いを通じながら、どのような支援の連携の形ができるのかの模索に入っています。さらには教育の中身について客観的な視点を持つために、北星学園大学、北海道大学、和歌山大学、福岡県立大学などの大学とのつながりを通じて、様々な角度から、研究の対象にしていただいています。

「できない」大きな要因は、教育がニーズのみで動いているからだと考えています。大阪市立桜ノ宮高校で起きた痛ましい事件はそのことを如実に表しています。親や受験生のニーズに答えるために異常事態を感じながらも黙認する風土が学校に出来上がっていました。しかしこうしたことは、今に始まったことでもなく、この学校の特殊性でもなく、日本全国にある問題であるという認識が重要です。ニーズを無視しろと言っているわけではありませんが、しっかりと教育機関が社会を見据え、育ちに本当に必要なことは何なのかを逆に作り出していく機能がないことが問題なのです。しかしその機能をうまく働かせるのは教育機関だけではなく市民そのものでもあります。つまり私たち大人(保護者・支援者…)が社会に合わせるのではなく、つねに社会を作っていくのだという価値感を持ち、本当の豊かさとはなんなのかということを考え続ける必要があります。有史以前からの「捕りすぎ、使いすぎは自分の首を絞める」という明快な教訓を現代人である私たちも生かせずにいるのです。いま子どもたちに起こっていることは、社会にたいするNOというサインです。社会を変えなくてはならないし、変えるのは政治家でもエライ人でもなく、私たち市民だという事をかみしめながら、教育にあたっていきたいと考えております。

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