理念や指導方針

教員はいま

北星余市では毎年GWを長くとります。真ん中の1日、2日は、開校記念日とか土曜登校日の代休などをあてて、今年は9連休。

特に、新しい高校生活が始まったばかりの1年生の子達は、頑張った1ヶ月の疲れを癒して欲しいという意味合いを込めてたりしてます。地元に帰ったり、下宿でのんびりと。

そんな、まさにゴーールデンな期間を利用して、今日は社会福祉法人麦の子会さんを訪問し、ケース会議を持ちました。担任の先生たちと平野校長、総勢7名でご訪問。

社会福祉法人麦の子会

麦の子会さんは、下記の事業を行なっている社会福祉法人。

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上の画像にあるように、発達に心配のある子どもから成人まで幅広く支援している社会福祉法人です。札幌市内だけでなく、全道からの相談もあるとか。

一人一人の状況や背景を踏まえ、行政や学校と適切に連携をとって、その人にあった支援をされています。

そんな麦の子会さんで私たちの学校の存在を知り、入学してくる生徒たちが、各学年5名〜10名ほどいます。本人にさほどの支援はいらないものの兄姉が通っていたからといって入学してくれる子もいますが、なかには、中学校時代に特別支援学級に通っていたり、複雑な背景を抱えた子どもたちも入学して来てくれます。

そうした子どもたちを受け入れ、3年間の成長を見守っていくためには、麦の子会さんとの情報共有や連携はとても重要です。

教育や福祉、医療というのは、人の生き方に関わる営み。「人の生」は、その人の一本の時間軸で成り立っていく。学校で見せる顔、家庭で見せる顔、友人間で見せる顔、人は様々な顔も持っています。学校で起こったことが、家庭で影響することもあるし、家庭で起こったことが学校で影響することもある。これは何も子供に限ったことではなくて、我々大人だってそうですけど。そして、その専門性から、教育、福祉、医療と我々社会は分けていますが、それぞれの観点を持ち寄って、その人の生に寄り添っていくことが望ましいと思います。

人は、目の前に存在する事柄をどう認識し、どう思考し、どう受容し、それを踏まえてどう行動するかによって、過去が形作られていきます。その過去が現在の自分を作り上げ、それらが未来に繋がっていく。複雑に絡む要素の中、その人の個性と社会的道徳性の間で、適切なそれらに一定導いていってあげる必要のある子どもたちがいます。

2年生に無事進級できた生徒たち。1年生の時、学校内でこんなことがあったが、こういう出来事を乗り越えて、今はこんな風に成長した。こんな努力ができるようになった。こんないい面が垣間見れた。一方、こんな出来事に対しては、こんなものの考え方をする傾向にある。それは、こういうものに起因していて、そういうときはこういうところに視点を映すようにしてあげると、考え方の方向性が変わる場合もある。1年生に入学した生徒たちも、こんな背景で生きてきて、麦の子さんではこんな様子が垣間みえてて。

そんな風にお話をしていくと「えーーー、そういう一面もあるんだ!」とか「なるほど、謎だったこの行動は、こういうところから来てるのね」とか「へーーー、今はそういう側面が出て来ていないけれど、そのうち出て来るね」とかいろんな観点がお互いに共有できます。そして、それを担任だけが知ってるんじゃなくって、学年の先生、あるいは学年の枠を超えて知っていく。そうすると、学校の中で起こっていることも、色々とアンテナに引っかかるようになります。

昨日は、そんな有意義な時間を2時間、あっという間に過ごしました。GW明けてから、生徒たちと向き合うときの要素として大切にしたいと思います。

そんなまじめーーーーな話をしたあとは、1年生の担任たちとびっくりドンキーさんでお食事。あまりに話に集中しすぎて、麦の子さんで写真を撮り忘れたし、こんな食べ終わりの様子ですが、笑

僕はハンバーグの他に美味しい美味しい、ストロベリーソフトをいただきました。

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※「教員はいま」のコーナーです。学校の様子とはちょっとかけ離れてます。

さて、結論は「iPhoneを探す」で探せます。知りたい方は、ページの一番下へどーぞ。

さて、AirPods(エアポッズ)というのは、Appleさんから発売されているBluetoothイヤホンのことです。コードもなく、耳に引っ掛けるだけで自動的にiPhoneと接続され、音楽が聞けたり電話ができたりする『シンプルで魔法のようなワイヤレス』イヤホンです。

AirPods(Appleさんのページにとびます)

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コードのないイヤホンで電話ができるって、とても便利。電話で打ち合わせをしたり、入学前のご相談に乗ったりするとき、片手が埋まって30分も1時間も受話器を持っているのが結構しんどいんです。そして、突然電話がかかって来たとき、すぐ耳につけて、それで会話がすぐにできるって、ホント魅力なんです。

しかし、このAirPods、購入前から「なくすんじゃない?」なんて噂があちこちでささやかれていました。そりゃ、そうですよね。コードがないんですから。

Sankei Bizさんなんかでも、そんなことを特集しています。

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しかし、欲しい。喉から手が出るくらい欲しい。喉から手なんてでるわけないけど。

ということで、無理やり「そんな、なくすわけないじゃん!」なんて思い込んで買ってみたら。

ほれみたことか、なくしました。

5分作業しては探し、2分作業しては探し。気もそぞろで全然仕事どころじゃない。そんな様子を察して、僕の席の近くにきた生徒たちが「どしたの?」とみんな声をかけて来てくれる。

やさしー。

「えー、最後どこ置いたのー?」に対する応えを何度したことか。来る人来る人、心配してくれる。ありがたや。もう、それだけでAirPodsをなくしたことなんて、わすれ、、、られるわけない!

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パソコンの下にないかなー(あるわけない)
机の下に落っこちたのかなー(生徒に「なにやってんの?」と声をかけられ)

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どんなに探しても見つからないので、天下のグーグル様にご相談。今の世の中、グーグル様にお聞きすれば、だいたい解決してくださいます。ほんと、便利な世の中です。

「AirPods 探す」で検索。

なんと「iPhoneを探す」で、イヤホンから音を鳴らすことができることを発見。早速音を鳴らしてみると、遠くでかすかに「ピッピッピ」となってる。音のする方に行ってみると、、、、

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ええええ!!!ゴミ箱の中に!!!

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届いた荷物を開梱して、伝票のシールを剥がして机の上に置いたら、AirPodsとくっついてしまったんですね。おーーーー、こわ。世の中、事故の大半は「どーして、そんなことになるの!」って偶然が重なって起きるものです。

しかし、来てくれる何人もの生徒が、親身になって一緒に探してくれて嬉しかったー。「最後に使ったのどこ?」「え、じゃ、ここらへんじゃない?」とかって何人もの子が探してくれました。「ポケットに入ってるんじゃない?」と必ず言ってくれるので、何度もポケットをまさぐりました。まさぐった回数だけ、そんな生徒たちの優しさに触れた1日でした。感謝です。

AirPodsをお使いの皆様、お気をつけください。そして、なくしたときは、迷わず「iPhoneを探す」で探してください。

下記リンクをご参考までに。

AV WATCH – iOS 10.3の新機能でAirPodsを探した。完全分離イヤフォンがちょっと安心に?

今年度、北星余市では、新任の先生を2名迎えました。若々しい空気が流れ込んで来るってとってもいいですね。うん。

もちろん、新しく入ってきた先生を大歓迎する歓迎会なわけですが、北星余市の新任教員歓迎会では、迎えられる側が出し物をするという、ちょっと変わった企画があります、汗

ちなみに、僕が赴任した16年前はドラマ『古畑任三郎』がブームで、田村正和さんのモノマネをしました。はい。「なんでもいいから、一発やって」という無茶なフリをどうこなすか、そこらへん試されてる感がありました、笑

今年度赴任した松川先生は、ジャグリングを披露。へーーーー、初めて生でみたけど、すごい。さすが、面接の時に「趣味はなんですか?休日は何してますか?」の質問に「ジャグリングです」っていうだけあるわー。

今回はディアボロという、お椀を二つ繋げたようなものを紐で操るアレを披露してくれました。

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そして、歓迎会なのになぜか試され続ける新任の先生。これも恒例ですが「もしも、こんな場面に出くわしたら」シリーズ。

さー、あなたならこんなときどーする?

町内を歩いていたら、しちゃいけないことをしていた二人を発見。そのしちゃいけないことを見ちゃった福田先生。さあさあ、福田劇場のはじまりはじまり〜〜〜〜。

「ちょ、ちょっと、君たちなにやってるの?」
「え?何ってなに?別に何もしてないよ?」
「え、いや、今◯◯してたでしょ?」
「え、してないって」
「してたって」
「してないって」
「してたって」
「してないって」
「してたって」
「してないって」

すんのかーい、せんのかーい、みたいなもんです。

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でごわいですなー。ギブアップの福田先生。

ここで司会の谷口先生が「それではベテランの安河内先生に奥義を!」と無茶ぶり。

「えええ、なにそれ、俺かー!」とか言いながら、実戦。

さすがの安河内先生、二人もちょっと引き気味のオーラですが、しかし、この二人の女性も百戦錬磨ですから、退かず劣らず応戦。火花が散ります、笑 その火花が面白い。

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とまぁ、そんな楽しい雰囲気の新人歓迎会なのでした。

松川先生、福田先生、これから宜しくお願いしますー。

北星学園では10年、20年、30年と勤めた年数10年ごとに永年勤続の表彰をしていただけます。私も6年前10年目の表彰をいただきましたが、なんともありがたい気持ちになり、10年を節目として身が引き締まる思いで、次の10年に向けて表彰をいただいた記憶があります。

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今年度は勤続20年を迎える塩見先生が表彰をいただきました。塩見先生は宗教主任の先生。キリスト教主義を掲げる本校において、その精神的支柱をずっと担ってきてくれています。

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2017年度現在、3年生の担任をもっております。さ、最後の1年間でどのようなクラスに仕上げて、どんな卒業式を迎えることになるでしょうか。今から楽しみです。

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「おじゃましまーす」と新旧校長で入り込もうとしているのは、NIKI Hills Village さんの事務所。

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安河内前校長が、3年前から北星学園大学の先生たちと共同で進めている『ワインぶどうプロジェクト』。

総合学習の時間に『ぶどうのおしごと』という講座を設けて取り組んだり、『リタプロジェクト』という名称で余市のワイナリー・リタファーム&ワイナリーさんと共同プロジェクトを進めています。

今回ご縁あって、余市川ワインバレー構想をかかげるNIKI Hills Village さんと打ち合わせの機会を持たせていただきました。お忙しい中、お時間を取っていただき、ありがとうございました。

初めてお会いさせていただき、緊張した我々でしたが「何か高校生の学びにつながるような取り組みができたらいいですね」とおっしゃっていただき、気持ちもほっこり。

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その後、NIKI Hills さんの農場も見せていただきました。結構な山の上にあり、眺めがとても良いですー。

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眼下に広がるワインぶどう畑。これでも、まだ40センチくらいの積雪があるんですって。春が待ち遠しい。ここ一面にぶどう棚が広がるのを想像すると、圧巻ですな。

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NIKI Hills Village さんは、現在工事を進めながら、2018年夏のグランドオープンを目指して、着々とプロジェクトを進行中(http://nikihills.co.jp/schedule/)。レストランやガーデンなどもあり、こんなところでくつろぐ休日、楽しみです。

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さて、最初の取り組みはどんなことをさせていただけるのかな。楽しみに安河内先生の動きを待ってみようと思います。

<文:校長・安河内敏>

明石大橋のふもと、一面に瀬戸内の景色のひろがる舞子ビラはとても大きく、立派なホテルでした。北星余市高校からは私を含め3名の教員の参加でした。舞子の駅についた私たちは、思ったより涼しい!ことにほっと胸をなでおろしつつ、さぁ久しぶりに多く事を外で学んで来ようと会場入りしました。

なんとそこで昨年本校に入学したものの、悩みがあって進路変更したA君とお母さんにばったりと出くわしました。その後ニュージーランドへ留学して約一年、A君も日本に帰って来たばかりで、このつどいに参加となったようです。とても元気になって、力強さも備わった感じを受け、再会を喜びました。愛知出身の彼は本校に来る前は不登校で、このつどいにも参加していたということで、このつどいの縁の不思議さをいつも思います。
 (2日間のつどいが終わっての帰路もまた同じ電車に乗り合わせて神戸までいっしょしました。9月の学園祭に遊びに来てくれるそうです)

私は第5分科会の「学校とのかかわり・学校づくり」の「学校づくり」というところにひかれて参加しました。現在の学校のシステムが相変わらず大量生産・大量消費型の社会に合わせたものであることから、きっと学校を出たさきにそのシステムで得たものが役に立たない事態が起こるだろうと危惧してのことでした。

参加してみるとその「学校システム」に合わない状態が不登校ということもできるのではないか?とだんだん考えるようになりました。であれば、身も蓋もないかもしれませんが、今の学校のシステムに戻ることを考えるよりは、これからの社会の形に対応できる仕組みを作ったほうがよいのではないか?と考えたりしました。

ここで問題なのは、これからの社会の形とは具体的にどのようになるのかが大人でもなかなか予測できないことです。目の前の事(情報)に近視眼的になっていませんか?

予測できないことに対応するためには予測できなかったけど一つ一つ解決してきたという経験値が必要なのだと思います。「こうあるべきだ」という教えは予測の中にむりやり落とし込んでいく作業でもあります。それでは対応できないことがたくさん出てくることでしょう。

今わかっていることから推測する力も必要でしょう。

非正規雇用40%、毎年の大卒者の3年以内の離職率30%、奨学金破産、10数年後には今ある職業の60%は違うものになっているらしい、人工知能の発達や自動化で仕事はなくなっていく?同時に人口減で就労人口も減る?これはバランスする?こうしたデータや知見からどのような世の中になるのか予測できるでしょうか?しかし現実は迫ってきています。

すでに問題は学校という装置で考えていく範疇を越えているのかもしれません。つどい実行委員長の船寄先生がおっしゃっていましたが、日本の学校の歴史は140年ほどだということなので、いまの学校という装置は万能ではないわけで、むしろ変化していかなくてはならないのだという事を考えさせられました。

ただ、なかなか変化の兆しは見当たらず、むしろ多様な評価ではなく、学業成績などの評価をより増やしていく方向に進もうとしているように見え、危惧しています。

1日目の夜には北海道のグループでもたくさん話に花が咲き、バイキング形式に強い事も見えました。600人を超える参加者のそれぞれの方が普段の不安な状況から解き放たれゆっくりと語り合えるこの場は登校拒否・不登校という問題だけではなく市民としてこの社会で協働していくつながりとして大切だと思いながら、北海道へと帰ってきました。

<文:教頭・田中亨>

理由が明確ではない不登校をなくすには…?

とある行政の方に「いじめにあった、教師に心ない言葉を言われたという明確な理由による不登校は別として、なんでかよくわからないけれど、不登校になってしまったという子どもが多い。これをなくすにはどうしたら良いと思うか」と質問された。

「すごい質問をされるなぁ」と思いながら、よくわかるその人の思いを受け止める。不登校に陥った子どもも親も悩み苦しむ。「そんなもの、世の中からなくなってしまえ!!」という祈りからくるんだろうと思う。その祈り、理解はできる。

質問した方は、不登校を経験した子どもたちを沢山受け入れて来た経験のある北星余市の教員だから、何か魔法のような解決方法があると思ってくれたのかな。でも、そんなものがあれば、全国で10万人以上いる不登校問題はとっくに解決している。

「不登校を予防するにはどうしたらいいか?」という問いを考えると、端的に「予め行きたくないと思う出来事をなくし、行きたいと思う学校にする」という答えになる。

けど、そんな単純な話でもない。

まずは自覚を持つことからスタート

そもそも学校に行かないという選択をする子、行きたくても行けなくなる子には、その子独自の様々な要素が絡んで、そういう状況が生まれている。学校教育制度、学校教育環境、社会状況、地域の特性もあるし、その子の生育歴、育って来た環境、偶発的な出来後、、、そういった様々な要素が絡んで不登校が生まれている。そういったことを考えたとき「よくわからない理由で学校に来ないという現象をどうすれば予防できるか」という問いに具体性をもちつつ一般論として応えること、マニュアル化することは難しい。

まずは、そういう自覚を持つことから。そこからスタートなんじゃないかな、と思う。

<文:教頭・田中亨>

ふとノートを見返していたら、気になるメモを見つけました。「非行」を考える全国交流集会でのメモです。「非行」を考える、、、っていうか、人ってものを考えさせてもらえます。毎度のことながら。

今日は「なんとかしようとすればするほど、自分の首を絞めてしまう」というお話。

この集会では、子どもが「非行」をしていて、悩んでいる真っ最中の親御さんたちだけでなく、その悩みがある一定解消されて、悩まれている親御さんたちを当事者の立場から支えようとされている方たちも多く参加されているんですね。

そんな先輩ともいえる方たちがこんな発言をされていたんですよ。

子どもがやりたくないと思っていることを続けさせてしまっていた。
自分が学歴主義に捕らわれてしまっていた。その路線に子どもを乗せようとしてしまっていた。
「この人はこういう人だ」「あの人はこういう人だ」と自分の生きてきた価値観で人を決めつけて見てしまっていた。「あなたはこう生きねばならない」と子どもに自分の価値観を押し付けてしまっていた。今となってはその価値観はとても狭いものだったと思う。
子どもは子ども、私は私。でも、家族だから見捨てない。そう思えるようになってから、子どもとの関係性が変わっていった気がする。

そして、その話を聞いていた、山梨県笛吹市で不登校の親の会「ぶどうの会」をされている鈴木さんがこんな感想を話されたんです。

「なんとかできないか、なんとかする方法はないか…と足掻いているうちは良い方向にいかず、子どもは子ども…私は私…と親自身が変わると、意外となんとかなることが多いのは不登校も一緒。ああ、やっぱり共通しているんだなぁ、、、って思いました」

これって価値観の違いからくる話なんだろうなと思うんです。親と子の。というか、人と人の。

自分では何もできず、判断基準もなくて、与えられたものを享受しながら、感じ、考え、成長していくのが人の育ちのはじまりですよね。そうして生きていけば、自分の感性や価値観が育って考えるようになる。そうすると自分の意見を持つようになる。おかしいものをおかしいと思うようになる。自分が正しいと考えるものができる。実際に正しいかどうかは別として。

これって、子供に限らず、大人もそうですよね。誰もが新人の頃は上司の指示を受けたり、先輩のアドバイスを受けて、不安も抱えつつ、考えながら、一つ一つをこなしながら前に進んでいく。一つクリアするごとに、感じるものがあるし、考えることが出てくる。一生懸命そこに向き合えば向き合うほど、気がつけば「自分」を持つようになってる。それに似ている気がします。っていうか、人の育ちってそういうもんなんだろうと思います。

そう考えた時「親だから子どもにいうことをきかそう」っていう、つまり無条件に「従わせようとすること」は、自ら感じ、考え、行動する人間に対しては、不可能なことなんだと思います。自分が感じて、考えて、納得が得られないと行動はしないし、行動を止めないでしょう。

一概には言えない色々な理由で、このような状態になってしまったら、それはもう相手の価値観を尊重する以外はないのかもしれません。「じゃぁ、やってみなよ」っていう。

ただ、何もしないで「やってみなよ」じゃない。一方で「僕はこう思うけどね・・・」という姿勢も保つ必要があって、これがあるから、失敗しても気づきがあるというか。はじめての道、目的地までたどり着くのに、自分が決めた道を進んだけどそこが行き止まりだったとき、「そういえば、あの交差点にたったとき、「こっちだと思うよ」と言ってくれた人がいたっけ・・・」という出来事があったかなかったかは、大きな違いになると思うんですよね。

<文:校長・安河内敏>

学園祭が終わったあとに、フィリピン訪問の報告会をしますので、集まってくださいとアナウンスがありました。この夏休みに2名の生徒がSYDという社会活動(幸せの種まき運動)をしている組織の事業に応募して、フィリピンでのボランティア活動、学びをしてきました。その活動発表会を自主的に準備してくれたのです。自由参加でしたが、ちょうど残っていた保護者の方を含め生徒たちが結構参加してくれました。

今の自分たちの生活状況とかの地の状況の違いは、想像していたよりも遥かに大きく、複雑な思いを未だに抱えているとのこと。正直にそうだろうなと思える生の発表でした。

話を終えると会場からの質問タイム。会場から出た質問の「どうしてこの事業に参加しようと思ったのか?」への答えが冒頭のものです。

とくに見たくはないものも見てみたいにその決意が感じられ、結果「複雑な思い」を抱え、そして「この思いが何なのか。もっと勉強してもう一度行きたい」と言ってくれました。学ぶこととはこういうことなんだと、生徒たちに教えられる思いでした。

<文:校長・安河内敏>

「きなくさい」と読みますが、語源をしらべると「何かがこげているにおいがする」ということから、「火薬などのにおい-戦争や事件が起こる」という意味に使われるようになったようです。なにやら世の中が「きな臭く」なってきているなかで、次の世代である若者に私たちはどのような事を伝えなくてはならないのか、待った無しに動いていかなくてはならない状況であると考えています。

身近にも「きな臭さ」は転がっています。情報機器の発達によって、便利になった反面、過激な内容を好んだり、他者を攻撃するアイテムに使われたりとその暗部がじわじわと確実に広がり、インターネットの世界だけではなく、現実に人を傷つける行為にまで発展している事例が出てきています。

最近、ニュースをみてあぜんとすることがありました。保育所や幼稚園が住民の反対で開園が延期、または取りやめになっている事例が多くあるというものです。その反対の理由で多くあるのが、「子どもの声がうるさい」ということだそうです。自分たちの静かな環境が子どもたちの声で乱されるということなのでしょう。

大人たちが自分たちの権利のみを主張する。国も国益ばかりを主張する。そうした事が極まってきていて、その先には何があるのでしょうか。想像するだけで、恐ろしくなります。

生徒諸君!君たちはうるさいくらいでちょうどいいのだ。多少痛い目に会ったって、失敗したって、どんどん動いてもいいのだよ。誰にも迷惑をかけない子どもなんかいるわけがないのです。それを受け止めるのが先輩である私たち大人ではないですか!と思わず叫びたくなるのです。

休み時間に職員室になだれ込んでくる生徒たちのおしゃべりの声に時々うるさいと感じながらも喜びを感じる「わたし」を保っていきたいと考えています。

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