理念や指導方針

教員はいま

<文:校長・安河内敏>

学園祭が終わったあとに、フィリピン訪問の報告会をしますので、集まってくださいとアナウンスがありました。この夏休みに2名の生徒がSYDという社会活動(幸せの種まき運動)をしている組織の事業に応募して、フィリピンでのボランティア活動、学びをしてきました。その活動発表会を自主的に準備してくれたのです。自由参加でしたが、ちょうど残っていた保護者の方を含め生徒たちが結構参加してくれました。

今の自分たちの生活状況とかの地の状況の違いは、想像していたよりも遥かに大きく、複雑な思いを未だに抱えているとのこと。正直にそうだろうなと思える生の発表でした。

話を終えると会場からの質問タイム。会場から出た質問の「どうしてこの事業に参加しようと思ったのか?」への答えが冒頭のものです。

とくに見たくはないものも見てみたいにその決意が感じられ、結果「複雑な思い」を抱え、そして「この思いが何なのか。もっと勉強してもう一度行きたい」と言ってくれました。学ぶこととはこういうことなんだと、生徒たちに教えられる思いでした。

<文:校長・安河内敏>

「きなくさい」と読みますが、語源をしらべると「何かがこげているにおいがする」ということから、「火薬などのにおい-戦争や事件が起こる」という意味に使われるようになったようです。なにやら世の中が「きな臭く」なってきているなかで、次の世代である若者に私たちはどのような事を伝えなくてはならないのか、待った無しに動いていかなくてはならない状況であると考えています。

身近にも「きな臭さ」は転がっています。情報機器の発達によって、便利になった反面、過激な内容を好んだり、他者を攻撃するアイテムに使われたりとその暗部がじわじわと確実に広がり、インターネットの世界だけではなく、現実に人を傷つける行為にまで発展している事例が出てきています。

最近、ニュースをみてあぜんとすることがありました。保育所や幼稚園が住民の反対で開園が延期、または取りやめになっている事例が多くあるというものです。その反対の理由で多くあるのが、「子どもの声がうるさい」ということだそうです。自分たちの静かな環境が子どもたちの声で乱されるということなのでしょう。

大人たちが自分たちの権利のみを主張する。国も国益ばかりを主張する。そうした事が極まってきていて、その先には何があるのでしょうか。想像するだけで、恐ろしくなります。

生徒諸君!君たちはうるさいくらいでちょうどいいのだ。多少痛い目に会ったって、失敗したって、どんどん動いてもいいのだよ。誰にも迷惑をかけない子どもなんかいるわけがないのです。それを受け止めるのが先輩である私たち大人ではないですか!と思わず叫びたくなるのです。

休み時間に職員室になだれ込んでくる生徒たちのおしゃべりの声に時々うるさいと感じながらも喜びを感じる「わたし」を保っていきたいと考えています。

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