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「北星余市で苦楽を共にした仲間が全国にいる」
「不良少年と呼ばれた頃の心の原風景」

2017.02.28 卒業生

レぺゼン北陸IT戦士/40 期卒

MCヤマザキ

MC YAMAZAKI

プロフィール

MCヤマザキ
1987 年 7 月 石川県生まれ
11 歳で富山県に転居 中学2年から不登校と非行を経験 地元の高校退学後の 2005 年 北星余市高校に2年生から編入 卒業後は東京・神奈川などを転々 アルバイトをしながら大学に進学 現在は都内のIT企業に就職 サラリーマンラッパーとしても活躍している

MCヤマザキくんに会うために、東急線の祐天寺駅に初めて降りたのは 10 月9日、日曜日の午後のこと。そこで偶然見つけたお洒落なお店『ギリギリカフェ』でインタビューに応じてくれた彼は、まさにギリギリ綱渡りのような自身の人生を振り返ってくれました。

(聞き手・PTA白土 )

 

INTERVIEW

卒業生キラ星インタビュー

ーー ヤフーやグーグルなど、大きなクライアントさんと仕事をしているそうだね?

はい、インターネット広告の営業をやってます。例えば、ヤフージャパンのトップページを開くと、上の方に広告が出てますよね。それを、新しいものが出たら紹介していくっていう仕事です。今の仕事に就く前は、不動産の会社でブローカーのようなことをしていました。ところが、 グーグルが発表した『10 年以内になくなる職業ランキング』っていうのを見てたら、不動産ブローカーがランクインしてたんですよ。どうしてだろうと考えたら、要はコンピューターに取って代わられる職種なのかもしれないなと。例えば、インターネット広告媒体の業者が、お客さんであるエンドユーザーと直接つながるようなツールを作ったら、仲介者はいらなくなる。ソフトバンクが、ペッパーという人間型ロボットだけのショップを作ったのを見て、あぁこうなって行くんだと。レジも無人で機能している。人間がお客様と接する仕事っていうのが、だんだん無くなっていく世の中なんだなと思ったんです。じゃぁ、どんな業種が残っていくんだろうと考えた 時、ITしか思いつかなくて、転職活動をすごく頑張った結果、今の会社に採ってもらえたんで入りました。

ーー仕事は充実してる?

本当に充実してます。同僚も上司も、素晴らしい人間ばかり。早稲田や慶応とか名門の大学を卒業した人達が僕と一緒に働いている、ありがたい環境です。

ーー その点、MCヤマザキくんは少し変わった経歴の持ち主ということになるのかな?

僕みたいな経歴の人はゼロに等しいと思います。僕は本当に常識のない少年でしたから。中学2年から学校に行かずに深夜徘徊。地元の高校に進んだものの、毎晩遊び歩いていた。その過程で自分の周りに出来たコミュニティーというのが、 いわゆる非行少年の集まりでした。2年生の春には退学処分になり、その夏暴力事件を起こして警察のお世話になった。見かねた父親が北星余市の話を持って来たんです。警察とも相談したよ うです。

ーー 北星余市に入る事を決めた理由は?

この先、高校を出ないで生きていくのは辛いかもしれないなぁという思いもありましたけど、 遠い北海道でしばらく身を隠したいというのもあったんですよ。僕が警察で調書を取られて話をしたことによって、迷惑をこうむったという悪い人たちとトラブルになって、身の危険も感じるようになっていたんです。その一方で、地元の友達と縁が切れてしまうのではないか、不便で不自由な生活が待っているのではないかと、懸念する気持ちもありました。入った当初は、舐められちゃいけないと肩肘張ってました。2年生からの編入でしたから、途中から入って馴染んでいくまでには正直苦労しました。地元の友達に会いたくて、恥ずかしい話ですけど電話しながら泣いちゃったりしてましたよ。

ーー どうやって馴染んでいったんだろう?

下宿の仲間達の存在が大きかったですね。自分の部屋から出る時、最初は何だか緊張するんですよ。慣れない環境だから。でも、ドアをノックして『話しようぜ』って来てくれる人がいたり、ゲーム好きな友達も多くて、やんちゃな連中も一緒になってみんなで夜中までゲームをしたり、楽しかった。今でも仲がいいですよ。もちろんクラスや学年にも仲のいい友達は出来ました。自分と同じような境遇で入って来たやつらも含めて、本当にいろんなカラーの人間がいるんだと気 づいて、何だかいいなぁと感じましたね。地元のコミュニティーでワルだったり沈んでたりしてた人もいたと思うんですけど、そんないろんな境遇を抜け出して、それぞれの地元を代表して来ている。それがすごくいい。レぺゼンですよね。

ーー レぺゼン?

ヒップホップ用語です。例えば、東京を代表してやって来た人なら『レぺゼン東京』って紹介したりする。

ーー なるほど、ヒップホップね。そういえばラップもやってるんだよね?

中学の時から好きだったんですけど、北星でも僕と同じようにヒップホップが好きで、フリースタイルのラップをやる人もいたんですよ。一緒にバトルみたいな事をして楽しんでましたね。

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ーー フリースタイルとは?

あらかじめ書いた言葉ではなく、その瞬間その瞬間に出てくる言葉で勝負するんですよ。

ーー 頭をフル回転させないと出来ないね。

ラップもそうですけど、遊ぶ所がないなりに工夫して遊ぶっていう面白さがありましたね。釣り・スケボー・ゲームはもとより自転車で遠くへ行ってみようとか、冬は冬で雪が多いから、そ れも遊びに変えていく。そんな連中ばかりでした。不便さを遊びに変えていたし、不自由さは感じなかったですね。

ーー 先生との関係は?

担任の塩見先生のことを、みんな『しおみ』って呼んでましたけど、さらに『しお』って(笑)。 それくらいフランクに接していただいた。もちろん楽しいだけじゃない、大変な事もありましたけど、北星ではそれまで想像もしなかったような新しいコミュニティーと出会うことが出来まし た。ただ、勉強はあまりやってなくて進路を考える時期になっても何もせずに、そのまま卒業して地元の富山に戻ったんです。北星で人間的に丸くなったと自覚していたので、もう悪い連中と揉める事もないだろう、昔のトラブルもほとぼりが冷めているだろうと思った。でも、それは安易過ぎる考えでした。元の場所に戻ったら、また同じような過去の自分が顔を出してくる。悪い人たちとまた揉めて、執拗に狙われるようになったんです。友達からも『おまえ逃げた方がいい よ』と忠告されて、着の身着のまま財布だけ持って東京に出ました。

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ーー 行くあてはあった? 

北星の同級生の龍ちゃんを頼って行ったら、気軽に泊めてもらえて助かりました。あそこで一息つけたのは本当に大きかった。あらためて思うのは、北星余市で苦楽を共にした仲間が全国にいることが非常に大きな財産だということですね。とはいえ、その時は財布の中に 17 万円くらいしかなかったし、とにかく仕事をしなきゃいけない。龍ちゃんちを出てから一週間くらいネッ トカフェで寝泊まりしていたんですけど、その間も『おまえ、俺たちから逃げられると思うなよ』 みたいな脅迫まがいの電話が来て。とにかく誰にも見つからない所へ行って住み込みで働きなが ら、しばらくは身を隠そうと考えたんです。神奈川県の厚木の端っこにある工場で、外国人労働者に混じってドリルで穴を掘ったりしていた。その後は、日野市のトラック工場で1年くらい働 いて、ほとんど外にも出なかったからお金も 120 万円くらい貯まり、それを元手に池袋に引っ越して営業のバイトを始めました。大学生の友達も出来て、自分も行ってみたいという気持ちが出てきて、都内の大学に入りました。まぁ何を勉強したかっていうと、あんまり憶えてないですけどね(笑)。4年間いて、25 歳で卒業できました。その後、不動産ブローカーの仕事を経て今の会社にたどり着いたという流れです。

ーー 確かに、同僚の人達から見たら変わった経歴ということになるね。

人と違う経験をして遠回りしたことが、逆に武器になっている面もある。寄り道を経験して『これは間違いだ』としっかりわかってから正規のルートに戻る方が、その後の生き方のブレを防ぐことにもつながるような気がしますね。もちろん、まっすぐに人生を歩んで来た人には、その人なりの辛抱強さであるとか、わき目もふらずに生きて来た信念のようなものとか、尊敬に値する ところがあります。特に同年代の人達とお酒を飲んだりすると、お互いに違う経験をしてきているから、『あ、その話面白い』って思えることもある。

ーー 人との対話とか付き合い方とか、仕事の面でも大事だよね?

そうですね。クライアントさんとの関係性作りは一番の課題ですから。いいものを提案して、それを気に入ってもらわないといけませんし。ただ、僕は元々はコミュニケーション能力がある訳ではないと思っています。いろんな環境に飛び込んで、いろんな経験をして来たことが生きて いるんだと思いますよ。そのスタートになったのが北星余市です。これから卒業する人達や親御さんへのメッセージとして聞いてほしいんですが、安易に地元に帰るのではなく、新しい可能性 にチャレンジしてほしい。特に、せっかく地元の悪い仲間との関係から抜け出して、まったく違う環境に1回飛び込んだのであれば、そこからまた戻らずに新しいコミュニティーを築いてほしい。自分自身の経験から、強くそう思います。

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ーー 実家にはあまり帰ってない?

上京してからの 10 年で3回、友達の結婚式で帰っただけですね。そういう時は、実家で両親と長話もします。今は親との関係も良好ですから。ただ、地元に帰りたいっていう気持ちはもうないです。両親に感謝はしていますけど。

ーー 感謝の気持ちは伝えてる?

今はまだ、ボーナスが出た時にプレゼントを贈るくらいですね。

ーー MCヤマザキくんが、やり甲斐のある仕事を見つけて頑張っていることが何よりのプレゼントなんじゃな いかな?

確かに、僕が親に散々心配をかけていた子どもの頃からのことを考えたら、そうかもしれない ですね。『地元を出て北海道に行ってよかったね、東京に行ってよかったね』と言ってくれてます。

 

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