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「出来上がった作品は本当に愛おしい」
「北星余市では素の自分が受け入れてもらえた」

2017.06.27 卒業生

羽を広げたカナリア/40 期・2007年4月卒

山口 真依

MAI YAMAGUCHI

プロフィール

やまぐち まい
1989 年 1 月生まれ 岐阜県出身。
2004 年 北星余市高校入学。 在学中にバンド“チェルシー”を結成し、放課後ライヴなどで演奏 。 卒業後、ライヴハウス・路上ライヴを中心に音楽活動を展開するも休止。 2016 年 オーダーメイドショップ『Mynority』を立ち上げ。 カンガルー革製品の企画・制作・販売事業を展開中。

Mynority
ネットショップ:https://www.mynority-japan.com/ 
ブログ:http://ameblo.jp/mynority-japan/
Facebook:https://www.facebook.com/Mynority.japan/

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「沢山の手拍子ありがとうございます!もっとくださーい!」
ゴム毬のように身体を弾ませながら、オリジナル曲『オレンジ』をノリノリで歌う山口真依ちゃん。その叫びに呼応して、満員の体育館の熱気がさらに高まり、盛り上がりはピークに達しました。2014 年 11 月の北星余市高校開校 50 周年式典で、在学中に結成したバンド“チェルシー”が復活。記念の日を飾るステージ上で躍動する彼女は、4 人の仲間たちとともにまばゆい輝きを放っていたのです。あれから2年半が経過した 2017 年 5 月 13 日。起業して、音楽とはまったく違う道で頑張っているという真依ちゃんを、地元岐阜市に訪ねました。

(聞き手・PTA林田真理子)

 

INTERVIEW

卒業生キラ星インタビュー

ーー革製品を作ってるんだよね?しかもカンガルーとは、珍しい。

うちは完全オーダーメイドなので手元に現物がなかなかないんですけど、何個かあるものだけ 持ってきました。ネットショップを作って、こういう名刺入れとかキーケースみたいな小物を中 心にやってます。あとは私自身バイクが趣味っていうのもあって、バイカー用の革ジャンとか。 革製品といえば国内では牛革が主流ですけど、自分は違う事をやりたいっていう発想からカンガ ルーになりました。

ーー色も綺麗。

お客さんには糸の色も別に選んでもらって、バリエーションを増やすようにしてます。

バージョン 2 – バージョン 3

ーー柔らかい手触りだね。

最初はカンガルー革がどんな感触でどんな匂いなのかもまったく知らなかった。見たこともな くて(笑)。じゃぁオーストラリアに行こうって。職人さんに会って、1回作ってみてください と頼んで、サンプルや革もいただいて、これで行こうって決めたんです。

ーーなぜこの仕事を?

うちのお母さんがオーダーで服を作るお店で働いていて、家にも業務用のミシンがあったんで す。だから、子どもの頃からミシンになじみがあって、自分で小物や服を作ってました。北星余 市にいる時も、ミシンを借りて余った布をもらってカバンとかを作ったり、もともとそういう事 が好きなんですよ。

ーー真依ちゃんといえば音楽少女。そのイメージとはまた少し違うけど、好きなことを仕事にした んだね。

はい。もちろん歌も大好きですよ。高校ではバンドを組んで、卒業後も音楽活動をやっていた 時期がありましたし。

ーーどこかにお勤めしようっていう発想はないんだね?

多分私は会社員には向いてない(笑)。高校を卒業してすぐ飲食関係の会社で正社員として働 いた事があるんですけど、組織の中で枠にあてはめられるのがすごく苦痛で、結局身体を壊して 辞めちゃったんです。

ーー枠にあてはめられるのが苦手っていうのは子どもの時から?

苦手でしたね。特に中学になると制服があって規則が増えるじゃないですか。でも、なぜその 規則になっているのか理由がわからない。何が悪いのか説明できないのになんで駄目なの?って、 それを口に出して言っちゃう子だったんですよ。先生からすると、ある意味問題児。大人になっ て思うのは、絶対こんな子嫌やろって(笑)。同級生たちからも、理屈っぽくて付き合いづらい って思われてたみたいです。

いつの間にか真依ちゃんは、陰湿ないじめの標的にされるようになったといいます。ある日、遅刻して教室に入った真依ちゃんの目に、愕然とするような光景が飛び込んできました。自分の椅子も机も倒されて、中身も床にぶちまけられた状態のまま、平然と授業が進められていたのです。頭の中で、何かがプツンと音をたてて切れました。「おまえか!」「おまえがやったのか!」「言いたい事があるならはっきり言ったらええやろ!」クラス全員にありったけの怒りをぶつけ、先生にも激しく詰め寄る真依ちゃん。その日から、教室への立ち入り禁止を言い渡されたのです。

「先生も嫌い、親みたいな大人も嫌い、友だちもいらない。あの子友だち?って聞かれて、ただの知り合いって答えるような子だった。北星余市に行かなかったら、本当に駄目人間になってましたね。

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ーー北星余市のことは知ってたの?

中学1年の時、3つ上のお姉ちゃんが北星余市をモデルにした漫画を買ってきて、それを見て 知りました。ただ、自分が入るとは想像出来なかったですね。家が貧乏なのもわかってたし、親 から公立しか行かせられないって言われてましたから。それが、いざ進路を決めるとなったら、 自分がまともに卒業出来そうな学校が見当たらない。お父さんが地元の子ども会の会長をずっと やっていて、どこへ行っても『お父さんは立派なのに、なんであんたは出来へんの』とか言われ て、それも嫌だったし地元の子たちに会うのも嫌。とにかく誰も知らない遠くへ行きたかった。 それで北星余市を思い出して、漫画を出して来て親に見せながら『この学校に行く』って言った 3 んですけど、特にお父さんは猛反対。『そんなワルが集まるような所に一人で行くなんて正気か?』 『お金がないって言ってるだろう!』って、物を投げつけられて。私も必死で説得しました。働 いて交通費と生活費は自分で出すから、奨学金を借りてほしいって頼んで、中学の公衆電話から 北星に電話して願書を取り寄せて、やっとの想いで親にも書いてもらいました。お母さんの方は 『やりたいことをやりなさい』って応援してくれるところもあったんですけど、お父さんの方は 卒業式まで1度も学校に来てくれなかったし、長期休みに帰っても高校の話題に触れることもな かったですね。

ーー北星余市は、入ってみてどうだった?

今振り返るとよかったって思いますけど、その時は監獄やなって(笑)。寮に門限があるし、 大好きなお酒も飲めないし(笑)。飲酒で謹慎に入ったらお金がかかるから絶対駄目だって、自 分にブレーキかけてましたね。

ーー中学の時は周りから浮いてたという真依ちゃんだけど、北星では?

私、中学の時は型にはめられるのもいやだし、周りと比べられるのもいやで、周りと一緒のこ とが出来ない自分もいやだった。駄目な子っていう自覚ばかりが強かった。でも、北星では本当 にいろんな子がいて、素の自分を出した時に受け入れてもらえたことがすごく嬉しかった。1年 の時の担任のしおみ(塩見先生)が、しょっちゅう寮に来てくれて話を聞いてくれたし、普通の 友だちとも自然にしゃべれるようになった。自分自身で自分を受け入れられるようになったんで すよね。

ーー音楽活動は?

1 年生の時に放課後ライヴを見て、私もバンドやりたいって思って、どうすればいいか、とお るちゃん(田中先生)に聞いたんです。『じゃぁ、バンドメンバー探して来て』って言われて、 まずわっち(和田直起くん)に相談した。そこからでしたね。最初はいろいろカバーしてたんで すけど、そのうち自分でも作れるんじゃないかと思えて来て、実際に曲を作って放課後ライヴで 歌ってみたり、楽しかったですね。

ーー卒業式は?

両親に卒業式だけはって頼んだら来てくれたんです。お母さんは面接に付き添ってくれて以来 2回目。お父さんは初めてでした。卒業式を見たお父さんが『行かせてよかった』って言ってく れたんですよ。それからは、北星余市のポスターを家の玄関に貼ったりするようになって。

ーーすごい!劇的な変化だね。

よかった。本当によかったです。

私がやりたいことって他に何があるのかなって考えました

 

ーー卒業後の進路は?。

すごく悩みました。大学へ行こうか、北海道に残ろうか、東京の音楽学校に行こうかと。でも、 結局は『お金がない』という1点で、実家に戻るしかなかった。まずはお金を貯めるのが最優先 課題でしたね。奨学金を返さなきゃいけないし、一人暮らしも早く始めたかったし。

ーーでも、会社員は向いてなかった。

「そう。だから、いろいろアルバイトもしながら音楽活動もやりました。名古屋のライヴハウス でやらせてもらうようになって、路上ライヴにもそれなりに人が集まるようになった。音楽事務 所にスカウトされてマネージャーが付いたんですけど、その辺からやっぱり要求されることが多 4 くなるし、自分の好きなようには出来なくなりますよね。」

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ーー会社組織と同じだね。

だから向いてない(笑)。それに、作っていたホームページにいろんなバッシングが投稿され るようになったんです。ネット上のことで、誰だかわからない人からいわれもない中傷を受ける。 そういうのが一気に増えた時に、本当にこたえましたね。それでもホームページは更新しなきゃ いけない、ライヴもやらなきゃいけない、いつまでに何をしなきゃいけないっていうのが苦痛に なってきて、歌そのものがいやになりそうな気がしたんです。でも、音楽は好きでいたい、嫌い になるくらいなら辞めようって考えて、活動を休止することにしました。

枠にはめようとする力と、正体を明かさない誰かからのいじめのようなバッシング。なんだか 中学時代の繰り返しのようにも思えます。けれど、北星余市でまわり人や自分を好きになる経験 をした真依ちゃんは、もうあの頃とは違ったようです。もう一度探し始めたのです。自分が自分 らしくいられる生き方が、この世界のどこかにきっとあるって。

私がやりたいことって他に何があるのかなって考えました。結論は縫製の仕事。夜働きながら 昼は専門学校で勉強するという形をとりました。普通の服を作るだけじゃつまらない、他の人が あまりやってないことをやりたいなって考えて、たどり着いたのがカンガルー。でも、経営のこ とがまったくわからないので、そこから1年間は岐阜県主催の起業家育成塾に通いました。県が やっているから安かったんですよ。最後は新事業ビジネスプランのコンテストで、一番上の A 評価をいただいたんです。

ーーそれはすごい!

そのままの流れで始めたいと思って、去年の4月に起業しました。」

ーー今の仕事は、やってみてどう?

人との付き合いでは、やっぱりストレスもありますね。この1年は女の子一人で始めたばかり ということもあって、話も聞いてもらえない、アポイントすら取れないっていうことも多かった。 心が折れそうになったこともありましたけど、『こいつら今に見てろよ。絶対もっと頑張って見 返したる。そしたら頼まれてもおまえの所には仕事出さんからな!』と思って(笑)。今関わっ ている人たちは、すごくやさしい、いい人ばかり。パターン会社や仕入れ先の人たちとか。革ジ ャンはオーストラリアの職人さんに頼んでますけど、小物は全部自分で作ってます。出来上がっ た作品は、本当に愛おしいですね。

ーーところで、北星余市 50 周年式典のライヴがすごく印象に残ってるんだけど、あれは音楽活動 を休止した後だよね?

縫製の専門学校に通ってる時でしたね。本当にいい機会をもらったと思ってます。余市の懐か しい空気に触れて、やっぱり音楽は楽しい、大好きだって確認出来た。あの時制作された記念 CD は、今でも落ち込んだ時なんかに聴いてます。みんなも頑張ってるんだろうなって、元気が 出るんですよ。

ーー今日はありがとう。これからも応援してるよ。

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その後のキラ星

インタビュー当日は事務所移転の真っ最中とのことでしたが、翌週には落ち着いたようです。 「心機一転、頑張ります」 力強く宣言する真依ちゃんの挑戦は、まだまだ続きます。

■ネットショップ『Minority』 興味をお持ちの方は、ホームページにぜひアクセスしてください。 https://www.mynority-japan.com/

Mynority

■真依ちゃんのオリジナル曲が聴けるソフト紹介
★北星余市 50 周年記念 CD:卒業生による演奏 15 曲中、チェルシーのナンバーは3曲収録。 アレンジは、あかまっちこと赤間昌平くんが頑張ってくれたそうです。

記念CD
★42 期の生徒による学校紹介ビデオ 挿入歌として「season」「オレンジ」収録

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