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「苦しかった10年間、私にとって食べ物は敵でした。」
「北星余市は失敗しながら成長できる場所ですよね。」

2016.03.24 卒業生

食を見つめる癒しの瞳/41期・2008年4月卒

渡部 麻実

ASAMI WATANABE

プロフィール

1988年6月生まれ 茨城県出身
中学生の時から摂食障害に苦しむ中で、地元茨城の高校で不登校を経験し中退。
2年生から北星余市高校に編入。
卒業後、入院などするも回復せず。
しかし、独学で食と向き合い学ぶことでやがて症状を克服。
その経験から、現在はせっしょく摂食障害のみならず鬱や無理なダイエットに悩む人などのための“たべものセラピスト”を目指し、働きながら料理のスクールに通い勉強を続けている。

近づいていた台風18号も速度をゆるめてくれて、2014年10月5日の日曜日、無事に待ち合わせ場所の渋谷駅に到着。ちょっと遅めのランチをいただきながら、インタビューをさせてもらいました。場所は駅からほど近いオーガニックレストランBio cafe。今回のキラ星、なべちゃんこと渡部麻実ちゃん本人が選んでくれたお店です。

(聞き手・PTA・林田 真理子)

 

INTERVIEW

卒業生キラ星インタビュー

ーー このお店面白い。美味しそう。このグラタンも、チーズがトローっとした感じじゃなくて変わってる。

「チーズや牛乳ではなく豆乳とかを使ってるんですね。動物性の物はあまり使ってないんです。玄米が基本で。多分、完全ではないかもしれないけどマクロビオテック。」

ーー マ・ク・ロ・ビ・オ・テ・ク?

「マクロビオテック(笑)。あと、その季節その土地で育った食材を丸ごといただくことで、その環境に合わせたカラダが作られるっていう考え方なんです。夏には夏野菜でカラダの熱を外に出し、冬は根菜類でカラダを温める。」

ーー 私すごい低体温症なんだよね。頭痛持ちで、一度頭が痛い時に体温を測ってみたら 35度しかなくてびっくり(笑)。

「女の人には多いですよ。でも、カラダを温める物を食べ続けると体質は変えられる。例えば調味料は日本の伝統的なお味噌やお醤油とかを中心にするといいんです。添加物で似せたお味噌もどきやお醤油もどきじゃなくて、きちんと自分のチカラで発酵した食品は、カラダの中に入ってもいいお仕事をしてくれる。」

ーー ふむふむ、なるほどって、ごめん、私の健康相談になっちゃってるね(笑)。インタビューっぽく質問しまぁす。少しお話しただけで、食べ物の知識があるなって感じるけど、専門の学校で勉強してるの?

「はい、社会人の人が結構多くて、コースや時間が自分に合わせて選べるスクールなので、働きながら通ってます。レシピをただ教えてくれるだけでなく、カラダの健康やメンタルケアまで関連づけて学べる。」

ーー そういうことを勉強しようと思った動機は?

「それを説明するには、私の摂食障害の話からしないといけないですね。10年間過食嘔吐で、いつも食べることしか頭にない、寝てる時以外は食べ物に頭の中が支配されちゃう状態だったんですよ。」

 

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大きな瞳を輝かせながら、楽しそうにお話ししてくれるなべちゃんからの、それは以外な言葉でした。摂食障害という深く長い苦しみ。それを克服させ、料理の学びへと導いたものとは、いったい何だったのでしょう。

 

ーー そうなってしまったきっかけは?

「中学の時、ボーイフレンドから体型のことをちょっと指摘されて、無理なダイエットをしちゃったこと。でも、それはあくまでもきっかけで、原因ではないんです。ほとんどの場合、原因は家庭環境。親の愛情を受けることができない、もしくは伝わらない、感じることができない。それによって脳の愛情を感じる中枢のすぐ隣にある満腹中枢が狂ってしまうのだそう。
私の場合は小さい頃からずっと、兄や弟が出来ないことを真ん中の私がやらなくちゃいけない、母親は仕事が忙しくてなかなか帰ってこないので、完璧ないい子でいなきゃいけない、という自分がいて・・・。
摂食障害になる子たちって、すごい完璧主義な子が多いんですよ。私もそうだったんですけど、完璧でない自分が許せなくて、体型のことを言われたら『私は太ってるんだ、このままじゃ生きてる価値がない』みたいになって。
高校は地元茨城の進学校に進んだんですけど、完璧主義だから、できないっていう事がいやで成績もすごくよかったんです。でも、メンタル的にはその頃から壊れてました。それで結局行けなくなってしまって。
その後、北星余市へ編入したのは母親の提案です。母親は学校の先生で、北星余市のことも知っていて、通信ではなく本当の学校生活の楽しさを味わってほしい、と思ったんですね。ちょうどその時親の離婚があって、母親の実家がある福島に引っ越すという選択肢もあったんです。でも、親と離れて生活した方がいいかな、と最後は自分で北海道行きを決めました。2年生からの2年間でしたけど。」

ーー 北星余市在学中は摂食障害の方はどうだったの?

「実は、その状態が摂食障害ってわかったのは北星余市高校に入ってからだったんですよ。
一般の進学校にいると、精神科に通ってますとか、鬱ですとか言えない。偏見の目で見られるのが怖いから。それで自分の状態を知らないとか、認めたくないっていうことがよくあるんです。
 私の場合、単にダイエットのし過ぎっていうことになっていた。
でも、北星ではいろんな子がいるという前提があって、精神科に通ってますっていうのもごく普通のこととして受け入れられている。だから、自分とちゃんと向き合えて、病院にも行かせてもらえて、自分が摂食障害だと初めて知った。そのことを、先生や寮のおばちゃんや、近い友達に言えたし、周りの人たちにきちんと理解してもらえて助けてもらえた。
私、完璧主義だから、ひとつのことに集中し過ぎて周りが見えなくなっちゃうときがあったんですけど、そんな時も必ずセーブしてくれる友達がいました。学園祭の準備でも「そんなに一人で突っ走ったら、皆がついて来れないよ」と止めてくれたり、「今日は終わりにしよう」って優しく促してくれたり、いろんな個性を持った仲間たちが、うまくバランスをとってフォローしてくれていた。合唱でピアノ伴奏を担当したんですけど、四部合唱をやろうということになって、私が楽譜起こしからやったんですよ。北星じゃなかったら、自分の完璧主義に潰されてましたね(笑)。

ーー あの四部合唱よく憶えてるよ。すごくよかったよね。なべちゃんがピアノをやってたんだ。

「3歳くらいからやっていました。昔はコンペで勝つこととか、親や周りの大人たちのためにやっていた音楽が、学園祭で初めて楽しいものと思えた。
先生も含め、学校全体がチームとして自然に機能して助けてくれたから、摂食障害も孤独じゃなかった。北星余市は失敗しながら成長できる場所ですよね。やり直せばいいと背中を押してくれるし、だめなところはきちんと叱ってくれる。見放さないで見守ってくれる。北星は、本当にあったかい場所でした。」

 

かけがえのない思い出を胸に、北星余市を卒業したなべちゃんでしたが、その後には以前にも増して辛い試練が待っていました。

進学した専門学校では、完璧主義に拍車がかかったようになり、少しでもできないところがあるとそれを許せない状態の再発。それを周囲に打ち明けられない中で、自分を追い込み、食事も乱れて、学校も続けられなくなりました。泣きながら食べては吐き、体重は30kgまで落ち、1日の過食嘔吐に費やす金額は1万円を超える日もあったといいます。気が付けば、摂食障害は国からの補助金の対象になるほど悪化していたのです。

卒業して何年経っても、自分の弱い所を見せられる仲間がいるっていうことがココロの支えになっています。

 

ーー 専門学校を辞めた後はどうしていたの?

「親からも『このままじゃだめだから』と言われて入院したんです。心療内科の閉鎖病棟で、とにかく外には一歩も出られない。荷物もチェックされて誰にも会えない。かと言って、毎日20錠もの薬を飲んでも治るきざしが感じられない。『さすがに無理』と、最終的には自分の意思で退院しました。担当の医師からは『許可はしたくないけど仕方ない。ただ、君はいつ死んでもおかしくないんだよ』と言われました。入院した時点から『完治はあり得ない』と言われていて、未来が見えなかった。自宅に戻ってからの生活も辛いものでした。同じ屋根の下で、食べては吐いての繰り返しだから『あんた、いつになったらよくなるの?自分で退院していつまでたってもこの状態で』と親がいらいらしてしまうのは当然だと思います。私は私で『こうなったのは家庭環境のせいなんだ』っていう言葉をぶつけてしまったり。親子関係がどんどん悪くなっていきました。」

ーー 辛かったね。北星余市のことは思い出してた?

「北星に帰りたいって、ずっとずっと思ってました。でも、今の状態では胸を張って帰れないっていう思いも同時にあって。ただ、1回だけ我慢できずに2年後輩の卒業式に行ったことがあるんです。下宿の後輩で、入ってきた時には今にも死ぬんじゃないかっていう雰囲気で、自分のことを『嫌い』と言ってた子が、卒業する時には自分のことを『今は結構好き』だって。やり残したことはある?って聞いたら『生徒会をやりたかった』って。目の離せない妹分だったその子の成長を見て、やっぱり北星はいいなって改めて思いましたね。こんなにも人が変われる場所なんだって。
 卒業証書を一人一人受け取る後輩たちの晴れやかな姿に拍手を送りながら、涙が止まりませんでした。後輩たちのためにも、この次はきっと、ちゃんとした状態になって帰って来たいって強く思いました。」

ーー ちゃんとした状態になるために、どんなことをしてきたの?

「22歳の誕生日に上京したんです。実家にいても親子の関係がよくなると思えなかったし。東京では、寮生活をしながらなんとか収入を得て自分で食費をまかなう、という形はとれるようになりました。ただ、決してカラダがよくなった訳ではなかったんです。どうすればその状態から抜け出せるのか、考えて考えて考え抜きました。辿り着いたのは、自分を苦しめてきた食べ物から目をそらすんじゃなく、逆にしっかり向き合おうっていう発想の転換でした。まず、食に関する本を読みあさりました。同時に、それまで飲んでいた薬を完全にやめました。「これがあれば大丈夫」という精神的な薬への依存。これが抜けるまでは大変なんですが、逆にやめたことで薬の管理から解放されて、ある意味楽になったんですよ。
人間のカラダの細胞は半年で生まれ変わります。食べ物のことを勉強して気をつけながら半年たった頃、ココロの状態も安定してきていると自覚できたんです。食べ物でこんなにも変わるんだ、ということを身をもって体験できたんですね。
はじめは独学で、1日に1〜2冊ひたすら本を読んで、また読んで。こっちの本はこう言ってるけど、あっちの本はこう言っているというようにバランスを取りながら、失敗もしながら自分の生活に取り入れやすいものを選んでやっていくうちに、いい方向に変わってきた。
スクールにも以前から単発的には通っていて、いろいろな実習や座学に参加して、その業界の先生方の中でも自分と考えの合う先生と出会うこともできました。次へのステップとしてガッツリ通い始めたのは最近ですね。」

ーー 本当にすごく頑張ってるんだね。

「北星への想いもそうだし、くじけそうになった時に『助けて』と言えるのは北星の友だちだったりする。卒業して何年経っても、自分の弱い所を見せられる仲間がいるっていうことがココロの支えになっていますね。」

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ーー これからの目標は?

「私は食べ物のチカラの素晴らしさを体験できましたけど、まだまだ無理なダイエットやココロの病気で悩んでいる人は沢山いる。そういう人たちのためになれるような仕事をしていきたい。自分が苦しんできた分、今悩んでいる人たちのことも理解してあげられるんじゃないかと思うし。
将来は『たべものセラピスト』として料理教室を立ち上げて、単にレシピを教えるっていうだけじゃなく、メンタルケアとかダイエットに特化した教室があったり、摂食障害や鬱の人に向けたカウンセリングも出来るような場所にしたい。
苦しかった10年間、私にとって食べ物は敵でした。でも今は、食べることを味方につけて、楽しんできれいに健康になりましょうっていう話が出来る場所を作りたい。」

ーー きっと出来るよ。応援する。

 

You are what you eat
(あなたは食べたもので出来ている。カラダもココロも)

 

これは、今のなべちゃんがモットーにしている言葉だといいます。『食べることは生きること。丁寧に食べられる人は人生も丁寧に生きられる。食べることを大切に出来る人は、自分の人生も大切に生きられる。そして周りの人も大切に生きられる。』

食べ物に苦しんだ、地獄のような経験があったからこそ学べたことなのかもしれません。

母校にまた違う形で帰る。これはもしかしたら今の私の一番の夢かも。

 

ーー それにしても、私が予約しようとしたハンバーガー屋さん、閉まっててよかった(笑)。

「私ならハンバーガーでも大丈夫ですよ。誘われれば焼肉も普通に行きます。そう沢山は食べませんけどね。家で作る時はこだわってカラダにいいものを作りますけど、外食は外食で楽しみます。外ではココロに栄養。皆でお話しながら食事するのは幸せ。今日も楽しい。」

ーー 私も、すごく楽しい。家で料理作るのも苦にならないんでしょ?

「毎日キッチンに立つのが楽しみです。」

ーー うちに来てほしい!(笑)

「勉強してより好きになったっていうのもあるし、やっぱり10年間食べることを楽しめなかったから、その分楽しもう、というのもありますね。」

ーー 最後に、あらためて聞きますが、なべちゃんにとって北星余市とは?

「北星余市は、完璧じゃなくてもいいって気づかせてくれた場所でもありますね。
実は、私の北星卒業と同時に両親が復縁したんですよ。離婚の直接的な原因になった問題が解決した訳じゃないのにって考えると不思議な気もしたけど。反抗期だった弟が、また一緒に住んでもいいっていう意志表示をしたことが決め手になったらしいです。私は長い間、父親からの愛情を感じたことがなかったけど、本当は子どもへの愛情はあるんですよね。不器用だからそれを表現できないだけで。
私が退院した後、どこの病院へ行っても断られて途方に暮れていた時、父親がカウンセリングだとかいろんな所に連れて行ってくれたんです。といっても、『ここ本当に大丈夫?怪しい』みたいな所ばっかり。やり方がわからなくて不器用過ぎて方向性がおかしいんだけど(笑)。でも、『何とか治してやりたい』という想いは伝わってきました。それまでは、娘とも思われてないと感じていたから、嬉しかったですね。不器用っていうのは欠点かもしれないけど、それも父親の特徴なんだって今は思えます。それは、遠い北海道の北星余市で離れて暮らしたから気付けたことなんですよ。自分自身に対してもそう。北星卒業後も自分の完璧主義に悩んだ時期はあったけど、今は完璧な人に憧れはしても、好きにはならないな、と。ちょっと人間臭くて不器用で、みたいな人の方が私は好きだわって思ったら、じゃあそういう人になればいいんだって。
今振り返ると、そういうふうに思えたのも、北星での経験が大きかったなと思いますね。」

ーー 今日は本当にありがとう。これからもがんばってね。

 

その後のキラ星

インタビューから約1年、髪を短めにカットして、ますますキュートな笑顔を見せてくれたなべちゃん。聞けば、あの後久しぶりに母校北星余市に帰ったそうです。
「6月の強歩遠足に合わせて『元気になったよ』って報告がしたくて行ってきました。楽しかったし、すごく気づかされることもあったんです。現役PTAの人達だけでなく、自分の子どもが何年も前に卒業した親の人達がびっくりするくらい大勢駆けつけて手伝ってくれている。これってすごいことじゃないですか?。親子で救われる北星の特色が表れているなぁって、あらためて感動しました。この学校を卒業したことを誇りに思えて幸せです。」
一方、料理の勉強も充実しているようです。
「目標だった講師養成クラスの卒業生たちと『and MACROBI』というチームを組んで、暮らしに気軽にマクロビオテックを取り入れられるように、SNSやブログで情報を発信したり、ワークショップイベントを開催したりしています。今年(2015年)の年末からは、表参道にオープンする『カフェand MACROBI』で、インターンとして働かせていただいて、半年後には講師デビューの予定もあるんですよ。いつか、母校の北星余市で授業が出来たらいいな。後輩たちのために何か出来たら嬉しい。母校にまた違う形で帰る。これはもしかしたら今の私の一番の夢かも。」
ココロの故郷、北星余市を胸に、なべちゃんの夢への道は続いています。

 

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