決まったことが何もない
旅とは、この心の揺らぎそのものじゃないか

2019.11.01 コラム

旅行会社勤務

常井玄

GEN TOKOI

10年前、私がまだ大学生だった頃。21歳の誕生日を迎える少し前に、オーストラリアへワーキングホリデービザで渡航することを決めた。理由は、英語を勉強する大学に行ったのに、ちっとも英語を話せない自分を変えたかったから。色々調べたり、考えたりしたけれど、結局渡航前にしたことは、シドニーの海の近くにある “Bondi Beachhouse YHA” という安宿への、 最初の 1 週間の宿泊予約のみ。そんな感じで始まった私の旅。言葉も違う、知り合いもいない、地下鉄の乗り方さえわからない。今日の予定は全くない「。決まったこと」が何もないのだ。今日一日をどう過ごそうと自由。逆に言えば、どう過ごすのが正解というのがない。全て自分で選択して決めなければいけないというのは、20歳の私にとってとても新鮮なことだった。良い大学に行って、良い会社に勤めて、良い給料をもらうという、誰が決めたかわからない見えないレールの上に乗っかっているのが良い人生だと思っていた。けれども、シドニーの街に降りたった瞬間から、誰もレールを示してくれない。何をすべきというものがない瞬間を味わい、その時に気づいた。自分の頭で考え、自ら道を選んでいかなければいけないということに。宿での仕事は掃除やベッドメイキング、時々受付などの雑用。居心地のよさも相まって結局約1年間働いた。様々な国からの旅行者との出会いはとても刺激的だった。シンガポールとマレーシアの親を持ちオーストラリアで生まれ育った東南アジアにルーツを持つ同世代の友達や、日本人の両親だけど海外で生まれ育った日本人らしくない16歳の一人旅の男の子、フランスで学校の先生をしていたけど、自分探しにオーストラリアに来たという30才過ぎのフランス人の男性。世間で決められているレールを歩いていない人達だったけれど、毎日の「この瞬間」を、活力を持って生き抜いている姿がなんだかうらやましく感じた。彼らと出会い、当時私が感じたことは、「これまで自分が正解だと思っていたことは何だろう?」ということだった。 そう、たぶん、生き方に正解はないのだ。あるとすれば、誰かが決めた正解に乗っかることではなく、自分自身の価値観や物差しで、自分の生きる道を選ぶことこそが、豊かな人生を送る上での正解なのではないか。旅をすることで、こんなことが得られるかもしれない、ということを、ふと思った。

文:常井玄

 

プロフィール

常井玄 | GEN TOKOI

埼玉出身で、今は札幌の旅行会社勤務の32才。仕事で余市に訪れる機会も多く、余市の水産博物館の館長とのおしゃべりが楽しい今日この頃。「多様性が認められる世の中」と「観光を通して地域を元気にしたい」と思いながら、北海道の観光について考える毎日。

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