「別れ」のだいぶあと。

2019.02.20 コラム

早すぎるぎっくり腰に襲われた30歳

佐藤有司

YUSHI SATO

「別れ」というとやはり去年の卒業を思い出す。余市には北星余市に通った期間を含めれば4年ほど暮らした。今でも、自分の人間関係の土台はすべて余市で作られたものだと言える。だから卒業に対する思いは人一倍強かったと思う。それでも卒業式ではうまく泣けなかった。その時はなぜなのかわからなかった。

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時は流れ、去年の11月、母方の親戚が亡くなった。余市、そして北星に行くまでの準備期間に大変お世話になった方だった。しかし地元に戻るのは苦痛だった。地元に対しての複雑な感情、解決できない状況にまだ整理はついていなかった。実家を出てから5年間、一度も帰ったことはなかった。気づくとLINEでいろんな相手に弱音を漏らしていた。そんなことをするのはほぼ初めてだった。それでも一度は帰らなければならない。東京から列車を乗り継いでいった。地元に近づくうちに、懐かしさとともに心身にゆっくりと重力がかかっていくような感覚に襲われ、最寄りの駅に着いたときにはすっかり疲弊していた。

どうなってしまうのかという気持ちのまま、ホテルの部屋で慣れないスーツに着替えていた時、LINEのコールがあった。北星余市の同級生で一緒に生徒会をやった仲間だった。

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「LINEの内容を心配して」と彼は言い最近の近況など10分ほどたわいもない話をしただけだったけが、それで自分はとても救われたのだった。そして彼だけではなかった。卒業で「別れ」た友人たちから次々届くメッセージは自分が無事に東京へ帰るまでの力をくれた。

どこかで、奇跡のようだった北星の生活も、関係性も「別れ」で消え失せていく、ならもう過去のことにしようと防衛をし始めていた自分はあの卒業式で泣けなかった。

間違っていた。北星の3年間はこうやって今の時間にしっかりとつながり、悲鳴をあげた自分に応え、支えてくれる。それを自分は「別れ」のだいぶあとに、心から実感できたのだった。そして東京に帰ってから、やっと泣くことができた。卒業式の分まで。

文:佐藤有司

 

プロフィール

佐藤有司 | YUSHI SATO

青森県出身、小学校から約15年間の引きこもり生活のあと2015年、26歳で北星余市に入学、2018年卒業。現在は和光大学に在学中。最近早すぎるぎっくり腰に襲われた30歳。

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