共に食べること

2022.07.19 コラム

日本キリスト教団余市教会牧師

西岡知洋

TOMOHIRO NISHIOKA

「今日の弁当、何?」友人から声をかけられたのは、昼休みにはまだ早い授業の合間のことだった。私は当時実家のあった小樽市から北星余市高校に通っていた。毎日のお弁当は母親が作ってくれていたのだが、下宿生活のその友人は、いつも私がお弁当を食べているのを見て「いいなぁ。お前の弁当いつもウマそうだよな」と言っていたものだった。「今日の弁当は、これ」と言って、私は食べるにはまだ早いお弁当のふたを開けてみせた。友人はそれを見て「弁当交換しない?」と言った。これは予想外の提案だった。何も考えず私は「いいよ」と言ってしまった。友人のお弁当の中身を知らないままに……。

いつもより早い昼食が始まった。1つの机に向かい合わせでお弁当を広げる。交換したお弁当をおいしそうに食べる友人。不思議と会話が弾む。そういえばあまり深い話をこの友人とはしたことがなかったと気がついたのだった。

私は一人で外食することが苦手だ。今でもなかなか一人ではできない。大学時代の学食や町のごはん屋さん。けん騒の中の食事。孤独の味には慣れることができない。今思い返すと北星での昼休みもつらかった。けれども、あの日ばかりは違っていて、「共に食べること」の喜びをかみしめたのだった。

聖書を開くと、イエス・キリストは孤独を押し付けられた人々と共に食卓を囲んだことが記されている。「共に食べること」を通して「あなたは独りきりじゃない」と伝えるために。そうやって関わりを持ちつながって、命を肯定するためにイエスはごはんを食べたのだ。

今、孤独の中で食事せざるを得ないいのちを想う。そのような暮らしの中で、自分は何をなすべきだろうか。「今日の弁当、何?」と関わってくれたあの友人から今歩むべき道を示されているような気がする。ちなみに、私が食べたあのお弁当の中身は、思い出の中にしまっておこうと思う。

文:西岡知洋

 

プロフィール

西岡知洋 | Tomohiro Nishioka

日本キリスト教団余市教会牧師・リタ幼稚園園長。高知生まれ小樽育ち。2001年北星余市高校に入学。37期生。好きなお弁当のおかずは玉子焼き。お弁当でびっくりしたことは弁当箱一面がソーメンだったこと。

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