家族が誇れる人になろう

2021.12.13 コラム

株式会社21札幌代表

石山敬悟

Keigo Ishiyama

今年の2月、札幌で自分のお店を持つことができました。北星余市という学校があったこと、たくさんの方に助けていただいたことでここまで来ることができました。一人の力では社会復帰することすら叶わなかったでしょう。豊かな生活には、家族や周囲の人の支えと、信頼関係が必要だと実感しました。互いに手を差し伸べ合える人が一人でもいれば、とても幸せなことです。自分のことで泣いてくれる相手に対し涙するというのは、互いの信頼関係を強く感じている証拠で、本当に苦しいときやうれしいときに、真剣に悩み喜び合える相手ということです。

私は幾度もその信頼を裏切り、そのたびに差し伸べられる手に救われてきました。16歳で逮捕されたとき、母親が留置所の面会室のガラス越しに「テレビドラマみたいだね」とガラスに手を触れながら涙を流していました。罪を犯した息子の体調を心配していました。鑑別所で裁判を待っているとき、家族からの手紙で、まだ小学校低学年の弟が学校でいじめをしている同級生に対し「悪いことをした人の家族もすごく苦しいんだ」と涙ながらに訴えたという話を聞き、初めて私の存在が人に影響を与えていると知りました。これまで自分が周囲に対しあまりに無感情だったと、周りが見えていなかったと気付かされ、とても苦しく責任を感じたのを強く覚えています。それと同時に、私を大切に想ってくれる家族がいることに気付き、家族が誇れる人になろうと社会復帰を目指しました。

北星余市の卒業式で泣いて喜ぶ母親と弟の姿を見て、ここに来てよかったと心から感じました。それでも私自身は未来を感じることも考えることもできませんでしたが、地元広島に帰り、理解ある会社で10年間修行させていただき、北星余市に入学してから17年かかりましたが、やっと人並みになれたと思います。過去を変えることはできませんが、私のような人間でも家族と幸せな時間を過ごしています。支えてくださった皆様に感謝しています。

文・写真:石山敬悟

 

プロフィール

石山敬悟 | Keigo Ishiyama

株式会社21札幌代表。現在2児の父親。中学で引きこもり16歳で暴走族になり観護措置も受けました。それでも北星余市や北星学園大学、理解ある職場に支えられ、社会復帰から独立創業までさまざまな経験をしてきました。

 

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