“遊”体離脱のすすめ

2020.07.20 コラム

写真家

辻田美穂子

MIHOKO TSUJITA

「遊ぶ」って、一緒に「こと」をやってくれる人がいたり、自分を虜にする「もの」がなくてもいいと思う。用事のない時間をつくることも「遊び」のひとつだ。そんなことを持論としてもっていたけれど、「遊び」の語源を改めて調べてみると「やらなければいけないことから解放されて空っぽのぼんやりした状態」という意味があると知ってとても納得。「ブレーキのあそび」などの使われ方を思い浮かべるとわかりやすい。

昔から多動気味で、じっとしていることや同じ作業を続けること、まわりにあわせることが苦手だった。体のいたずらな動きは自制できるのだけれど、忙しい私の頭はもうしっちゃかめっちゃか。右脳と左脳が頭蓋骨から四方八方に飛び出すのではないかと思うくらい、いつもいろんな「思いつき」にあふれている。楽しんでいる面もあるけれど、やらなければいけないという強迫観念にも囚われていて、気づけば多めのタスクにどっと疲れていたり、頑張った割にうまくいかないことが多かった。まわりに迷惑をかけてしまう時もあったけれど、ある時「なにもしない」という概念に出会った。難しいことだったけれど、意識してやっているうちに、気持ちがすっとすることに気がついた。

イメージとして、まずは脳みそと心をだだっ広い草原に放つ。それはもう勢いよく、ぽーんと、思いきって。脳みそと心の帰りを待ってはいけない。そうして空っぽになった体をさらにゆるゆるにほぐす。ごろんと横になって、天井をあおぐ。何も考えずにお風呂に入るのもよい。ただ温かいお湯を感じる。あてのない散歩もおすすめだ。雲だとか、花だとか、目に入るものの名前を口に出してみる。そうしているといつのまにか脳内にぽこっとスペースができて、そこに時たまものすごい「思いつき」がやってくる。いわゆる「降ってくる」というやつかもしれない。この頃にもう脳みそと心は帰ってきて次の行動を始めようとしているのだけれど、思考が整理されたせいか、放牧前にはない軽やかさをまとっていて、うまくできなかったことが突然できるようになっていたりする。

でも、そんな余裕なんてないと思う人もいる。だって学校がある。仕事がある。家族の世話がある。だけどやってみる。どんなに馬鹿らしくても、一瞬しかできなくても。「今」からふわっと幽体離脱するように、息を深く吸って吐いて、自分をボールにしてできるだけ遠くに投げる。なんだか忙しくて悶々としている人は、そうして生まれる「すき間」に、しばし体を遊ばせてみることをおすすめしたい。

文・写真:辻田美穂子

 

プロフィール

辻田美穂子 | MIHOKO TSUJITA

大阪出身の写真家。祖母の出身地である「樺太(サハリン)」の写真を撮るために北海道に移住。2019年度より、毎週総合講座で写真の授業をしている。少しずつ北星余市に友達ができてきて、嬉しい。

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