北星余市高校を支えるシンポジウム

2016.03.28 イベント

主催:北星余市の存続を願う町民の会

テーマ「今、北星余市の存在を共に考えてみましょう」

2016年4月24日(日)14:00〜16:00

2016年4月24日(日)に開催された北星余市高校を支えるシンポジウムの講演録です。

日時:2016年4月24日(日)14:00〜16:00 
場所:余市町中央公民館3階 301会議室

コーディネーター:平野直己
パネリスト:嶋保さん(余市町長)
      安河内敏さん(北星学園余市高等学校校長)
      谷藤恵美子さん(北星学園余市高等学校PTA)
      下村秀規さん(寮下宿会会長)
      國井一宏さん(北星学園余市高等学校32期卒業生)    
      小西陽祐さん(日本キリスト教団余市教会牧師)

 

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 (平野※敬称略)それでは早速始めます。シンポジウムの進行役を務めさせていただきます、平野と申します。よろしくお願いします。
早速、登壇されている方を紹介したいと思います。僕のすぐ隣、北星余市高校の校長・安河内敏先生です。その隣が31期卒業生の國井一宏さんです。PTAの谷藤恵美子さんです。下宿会の会長でいらっしゃる下村秀規さんです。今回の共催団体の一つでもあり、存続を願う会町民の会、日本キリスト教団余市教会の小西陽祐さんです。町長でいらっしゃる嶋保さんです。よろしくお願いします。
全体の流れですが、最初に安河内さんから10分ほどここに至った経緯と北星余市高校のこれからの方向性を10分ほどプレゼンテーションしていただきます。そのあと、登壇者の皆さんに北星余市高校の教育を語り合うということでコメントをいただこうと思っております。お一方5〜6分くらいで進めていきます。 そのあと5分ほどお時間をいただき、みなさんにもご発言いただく時間を取りたいと思っております。
最後に時間が残りましたら、まとめの時間を取らせていただいて、最後にシンポジウム宣言をしまして、閉会としたいと思います。 それでは、安河内さんからお話いただきます。

 

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(安河内)みなさん、こんにちは。本当に多くの方に集まっていただきまして感謝申し上げます。遠くは、札幌、音更、室蘭からも来ていただいております。12月の報道以来、全国から北星余市高校の存続を願う声をいただきまして、本当に多くの方に見守られ、支持していただいて、教育活動をさせていただいていたのだなと感じました。そして、この教育実践、この場所を守らせていただきたいと持っております。
歴史も含めた経緯についてのプレゼンを作らせていただきましたのでご覧ください。 北星余市高校は1965年余市町に誘致された開校しました。開校当初からゆくゆくは過疎化、少子化の流れの中で生徒減が予想されていました。地元余市町から生徒を集めることが困難となり、募集の範囲を後志、札幌と徐々に広げていくことになりました。募集地域を拡大しながら、困難を抱えた子供たちが多く入学することになりました。色々と試行錯誤を繰り返し、そうした子供たちにどう接していいのかを学ばせていただきながら進めていきました。募集範囲を広げていきましたが、少子化の進む世の中、先行きが見通せないということで、1988年に廃校案が出されました。
一方、当時、社会問題となっていた不登校生や高校中退生が、再度学校生活に挑戦する場所がないということで、そうした子供たちを受け入れることを決定し、廃校を回避することができました。200名以上の新入生を迎えることができ、最大で360名以上の高校生が在籍していたという回復状況がありました。
そうして生きながらえた北星余市高校ですが、反面、全国から生徒が集まるということの中で、一部では深い関わりがあったものの、全体としては地域との関係が薄かった面もあると思います。様々な生徒指導の問題や様々なことに手一杯で、地域に出て行くことが少なかったと反省しています。
2001年に薬物の問題が起きまして入学生が半減しました。しかし、本質的にはその背後で少子化の波も来ていました。一時期ドラマ等で持ち直しましたが、90名の人数を割る状況が続いておりました。学園内では継続的にこの状況を検討をしてきておりました。その中では90名を集めることが命題とされておりました。2012年に90名を集められなかった時には存廃を検討するということが学園内部での決まりごとでした。2012年までに90名を集めることができないままでした。学園も長い目で見てくれ、2012年が過ぎてもなんとかならないかと見てきてくれましたが、2015年度春の入学生が41名という人数であったため、学園としても判断せざるをえないということで、ご承知の通りの案が学園内で持ち上がったという次第です。
北星余市高校の大きな特徴としまして、開校の時からその時代時代で行き場を失った子供たちが多くきております。その時代の教育の潮流、例えば偏差値至上主義、校内暴力などが80年代にありました。その流れに乗れない子供が多くいました。また、規律や規則などを守れずに行き場を失った子供たちも多くいました。そうした子供たちを受け入れる役割があると思っています。そういう子供たちが自信を取り戻してやり直していくという、落ち込んでいる子供たちが元気になって社会に出ていけるような仕組みを考えてやっているところだと思っております。
私たち学校だけではなく、町民の方に多くの子供たちを受け入れていただいたり、謹慎の館ということで預かっていただいたり、生活そのものを町民の方に預かっていただきながら教育活動を行うことができています。これは日本のどこを見てもない教育システムだと思っています。
どのような生徒でも高校生活を送りたいという意思があれば多様性の中で受け入れます。子供たちを分けずにみんなの力で支え合いながら成長していくという仕組みがあります。子供には本来いろいろな特徴があります。それを殺さず、どのように生かして社会で生きていけば良いのかということを考えながら成長し、卒業していくという仕組みがあります。
一方、余市町という地方に存在する高校であるということを意識した時、まち・人創生委員会に参加させていただいておりますが、郡部の人口は減る一方で問題となっています。高校入学とともに町外に流出していってしまう現状があります。
町の良さを意識しながら、子供達が育つことは実は重要です。つい昨日公立高校配置計画の会議に参加しました。旧後志第一学区の中では239名の中学卒業者がいるのですが、そのうちなんと150名が町外に出ていってしまうんですね。そして、とある公立高校の先生がおっしゃっていたんですが、中学卒業とともに地方から都市部に進学してしまう生徒は、将来的にほとんど地元に戻ってこない一方、地域に進学した子は大学に進学しても卒業後戻ってくる率も一定あるということなんです。少子高齢化、都市一極集中化、過疎化などの問題をも含めそうしたことを踏まえたとき、高校時代に一緒に地域で地域を作り上げながら高校生活を送るということが大切なのではないかと考えて、ここ2年ほど取り組み始めていたところでした。 都市部には地方で高校生活を送りたいと思っている子どもたちが一定層いるということですし、余市町だからこそできるという教育を確立することが重要だなと考えているところです。
また、社会的養護の必要な子どもたちも増えています。生活そのものが破壊されている子供たちが存在しているんですね。ここ余市町あるいは北星余市高校の環境で、仲間として受け入れられ、どの子でも生活できるという場が地方にあることは重要だと考えています。子どもたちの生活そのものを町民の方が見てくださっていることは大きな取り組みで、さまざまな悩んだ子どもたちが下宿で生活して強くなっていっている。こうした取り組みを続けさせていただきたい、場所を守りたいと思っています。
生徒が減っていて困っていると嘆いているだけでなく、今まで述べたことをこれから取り組んでいくのだということを学園に示して存続を模索していきたいと思っているところです。町民の皆様からもご意見をいただき、反映させながら進めていきたいと考えております。

(平野)ありがとうございました。歴史、社会の中で北星余市高校がどのような教育を施されていたかというプロセスがわかりました。続きまして、北星余市高校への思いを語っていただきます。卒業生の國井さんは関東出身ということですが、北星余市に入ったきっかけというのは?

(國井)中学校2年生のときに不登校をしていました。チャイムが鳴ってもビクビクしていて、死にたい死にたいと思って過ごしていました。

(平野)そんな状態の子が高校に入って何か変わりましたか?

(國井)親は不登校をしていてもそれを受け止めてくれていました。しかし、それ以外の大人は自分のことしか考えていないと思っていましたが、北星余市は全然違ったなと思いました。

(平野)どうやって北星余市を選んだのですか?

(國井)母が赤井川出身で調べて教えてくれました。

(平野)北に飛ばされるという印象はなかったですか?

(國井)自分を変えられるかもしれないと思っていました。

(平野)北星余市卒業後の進路は?

(國井)その後は大学に行きました。高校時代の先生との関わりを味わう中で、自分の中でこの学校が自分の人生を変えてくれたという意識があって、だから自分もそういう存在になりたいと思っていたので。ただ、先生は嫌だと思っていたので、福祉関係で役に立ちたいと考えていました。

(平野)どうして先生は嫌だと思ったのですか?

(國井)北星余市の先生たちを見ていて、とても大変そうだなと思って、笑。ずっと職員室は夜中まで電気が付いていて、子供達の面倒を見ながら、ぼろぼろになりながら寄り添っているのを見ていると、とても自分ではできないなって思ったんです。

(平野)進学した大学は関東の大学ですか?

(國井)そうですね。

(平野)それから洞爺湖に?

(國井)そうですね、今は洞爺湖町で障害者福祉の現場にいます。ここ1年2年くらいで、社会を見た時に子ども達が大人と繋がれていない、信頼関係ができていないということがすごい問題だと思って、北星余市をもっと広めないと思っていたところでした。そうして関わりを再び持ち始めていた矢先の12月に報道を受けて、気持ちに一気に日がつきました。
僕は母校がなくなるから寂しいという思いもありますが、それ以上にこういう場所は残さないといけないだろうと思っているんです。日本でどこよりも先駆けて、不登校や高校中退などの問題に向き合い、その根本的な子供の育ちという問題を受け入れ始めたわけじゃないですか。この場所とノウハウをなくすことは日本の教育の大きな損失と考えています。

(平野)それでこの壇に登ってくれたんですね。

 

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(國井)そうですね。で、財政的に厳しい中でどうしても今の流れというのは理事会が敵みたいな感じになっていると思います。僕はガンジーが好きなんです。彼は18歳の時にカースト制度がひどいということで将軍に直談判に行ったそうです。その時「この状況を変えて欲しい」と申し出て、将軍が「どうやってやるんだ?」と聞いてきたときに「あなたの力を借りて」といったそうです。僕は理事会の力を借りて北星余市を残すということをしたいなと思っています。

(平野)ありがとうございます。続いて、PTA代表ということで谷藤さん。親としてお子さんを北星余市に預けるということについてお話しいただけますか。

(谷藤)うちの子どもは今3年生に在籍しています。小学校5年生から中学校3年生まで不登校をしていました。小学校はほぼいけず、中学校に上がった時には週に1回2時間程度学校に行っているという状態でした。私は積丹町に住んでます。小さな町ですから、小学校から中学校まで同じようなメンバーの中で生活するので、中学校はやり直しづらいかなと思って、子どもに転校を進めたこともあったのですが、子どもはそれを拒否しました。子どもは「どこに行ったって今の自分は同じことになる。お母さん、ごめん、中学校はいけなくてごめん。けど、高校からは頑張るから」といったんですね。とても驚きでした。

(平野)ということは、高校に行くということ自体、かなりのチャレンジだったんじゃないですか?

(谷藤)そうですね、けど、中学校の時から北星余市という学校の存在と選択肢を伝えていました。

(平野)それで中学校に行かなくてどうでした?

 

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(谷藤)入学して最初の頃は、それまで友達関係にほぼほぼ触れていない状態だったので、人との関わりを恐怖に感じていた場面があったようです。自分でどうやって話したら良いかわからないということを言っていました。私もどうしたら良いかということをうまく伝えられなくて、先生に相談したりしていました。すると「そのままの状態でいい」と言ってくれてました。「無理に飾ったりするようなことはさせないでくれ」ということを言われたんです。で、本人にそれを言ったら「え、それでいいの」といいまして。

(平野)それは結構ショッキングでしたね。

(谷藤)そうですね。中学校時代は本人の人格を否定されることもあったようなので「それでいい」といわれたことに衝撃を受けたみたいです。

(平野)何かPTAの立場から、北星余市高校の存続に向けての思いなどがあれば聞かせていただけますか。

(谷藤)娘の言葉を代弁させてもらいますけど、まず娘は絶対この学校を無くして欲しくないと言っていました。自分が変われるきっかけを作ってくれた学校だから、これから自分と同じような立場の子供達が入ってこれる場所がなくなるということは悲しいと言っていました。ぜひとも、存続していただきたいと思っています。

(平野)どうもありがとうございます。では、お隣お願いします。下宿会代表ということで下村さんお願いします。

 

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(下村)言葉を選ばずに行ってしまいますが、、、、まずもう、あの子たちがいるだけで大変です、笑。その一言に尽きます。「起きたか?」「めしくったか?」「わすれものないか?」と日々戦っています。みんなが一斉に学校に向かっていって「ああ、やっと学校に向かったな」と思っていたら、学校から電話きて「◯◯君、学校にきていませんけど」って電話がかかってくる。で、部屋を見てみたら二度寝をしているとか、、、苦笑。

(平野)下宿屋さんのことをあまりわかっていないんですけど、そんなことまでしてくれるんですか?

(下村)そうですね。となりのお母さんも言っていましたけど、学校に行きたくない子どもたちなので、とりあえず行くことを目指します。変な話、学校に行ってから寝ていてもいいからとにかく行けと、笑。そういうところから始めていくんです。引きこもっていた子もいます。そういう子どもは、共同生活したことのない子がほとんどで、どうやって子どもたち同士でコミュニケーションとったらいいかってことから教えてあげないといけないし。「お腹空いてるか?」と聞いても返事もしない。けれど、声かけを続けることが、子供の変化、一歩一歩の成長に繋がっていく。無理せず、マイペースでと思っています。

(平野)すごいですね、、、こんなに本気になって関わってくれる大人なんていませんよね。

(下村)自分は若いころ優等生ではなかったので、そういう子供たちの気持ちは少しくらいわかるかなと思っていて。自分も北星余市出身でして。迷惑をかけた方だったと思います。

(平野)今回の存続問題についてはどのように思っていますか?

(下村)PTAが学園祭や強歩にもきてくれるんですが「ありがたい。こんなどうしようもない子供たちを預かってくれてすごいですね」っていってもらえます。けど、それはちょっと違うと思うんです。すごいのは子供たちなんです。我々はそれを導いていっているだけで、頑張ってやり抜いている子どもたちがすごいんです。 まだまだ北星余市でやり直したいと思っている子どもたちもいるはずなんです。5年でも10年でも存続するようにかんばりたいと思っています。

(平野)北星余市高校の教育が、学校だけでなされているわけじゃないということがわかりますね。小西さんがこういう関わりを持つようになったきっかけは?

 

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(小西)北星余市の存続に向けて、仲間内でわあわあ言っているだけじゃなくて、町民のみなさんと考えていきたいと思ったということなんですね。

(平野)小西さんは教会の牧師さんでいらっしゃるのでキリスト教という意味合いでも何かありますか。

(小西)去年の秋のことです。僕が学校に行ったら高校生から「あっ、小西だ」と言われたんです。普通はカチン!とくるような失礼なことかもしれません。でも僕はそのとき「嬉しいな」と思ったんです。思わず「ありがとう、覚えててくれて」と言いました。僕は年に2回ほど、北星余市高校で毎週月曜日の1時間目に行われる全校礼拝でお話することがあります。高校生たちからすると牧師なんて時々礼拝に来て話をする得体の知れない存在だと思います。そういう僕に向かって「あ、小西だ」と言ってくれたのは、「大人なんて・・・」と思ってきた高校生たちが僕を一人の人間として認め、受け入れてくれたということです。
キリスト教は、人間がどうしようもない弱さや破抱えていたとしても、神に愛されている、つまりその存在を否定されない。どんな人であっても、一人の人間としてのその存在が受け入れられているという立場に立ちます。まさに北星余市高校が行っている教育の土台がここにあります。  そして、それだけではなくて、むしろ一人一人が自分の弱さや破れ、痛みを大切にする、切り捨ててしまわないところにこそ、希望が生まれるということを考えています。
北星学園は財政的な理由で募集停止をしようとしています。おそらく北星学園にとって北星余市はひとつの痛みだと思うんです。それを切り捨てようとしている。けれど、本来のキリスト教の立場からすると、その痛みを共に背負っていくことこそ大切なんです。
さきほどの安河内先生の話では90名集められなかったら募集停止を決めるということでした。今の1年生の入学生が60名だったわけですが、この状況は学園からすると「ほらやっぱり90名にいかなかったでしょ」って話だと思うんです。しかし、募集停止という報道が出たにもかかわらず、昨年度の入学生40名から20名も増えたわけです。そんなこと普通はありえないと思います。つまり、この学校にまだ使命があるということです。先日、北星学園の方々にもそうお伝えしました。 このまま、募集停止に踏み切れば、北星学園の信用そのものにかかわってきます。だから、痛みを背負って、逆にこの局面を乗り越えて、北星余市高校がもう一度この時代の中で、働いていくことで、北星学園自体が信頼されていくんです。 そもそも開校当初から「やがて、この地域は生徒減が進んでいく」という見通しがある中で、それでもこの場所に開校された学校です。そうした中で、募集停止を進めるのではなく、チャレンジしていくことが大切だと思っています。1965年の創立時に北星学園と余市町の間に立って走り回っていたのが、当時の余市教会牧師・リタ幼稚園園長の吉岡一でした。創立に深く関わった団体に現在所属している人間として存続に向けて全力で頑張っていきたいと思います。

(平野)余市町長の嶋さんですが、とても難しい立場の状況の中できていただいたなとまずお礼を申し上げます。

 

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(嶋)余市町長の嶋です。長い間、運営補助をさせてもらってきています。盛政策課長の時から全国の説明会に参加してきました。しかし、ご存知の通り少子化の中で生徒が減ってきているという状態です。去る12月10日に理事長から会いたいという電話がかかってきました。生徒が少なくなってきている状況の報告かと思ったら、ズバッと90名満たないと募集停止するという話が出てきました。ハードルも高く時間のない条件を突きつけられたのは驚きました。
いろいろな状況を抱えた子供たちの行き場所がなくなる。これほど生徒たちと体当たりでぶつかって教育をしているところは北星余市しか僕は知らないわけですが、そうした行き場所がなくなるというのは絶対に許してはいけない。そう思いました。
余市町長という立場では、北星余市があるために、人口の問題、下宿もある中で経済的な問題もあります。そういった中で1月18日、学園本部に伺わせていただいて要望書を提出させていただきました。その後、予算策定時期で開けられない状況ではありましたが、先生たちが出回っている説明会、1月30日に千葉、1月31日に大阪、2月6日に札幌と参加させていただきました。
いろいろな状況を抱えた子供たちを受け入れるという役割もありますが、地域に果たしている役割も大きくあります。一つはボランティア活動。いろんな活動に参加してもらっています。
昨日も議会で青年会議所主催の地域の子どもたちを集めたサミットが開催されましたが、その中でボランティア局の生徒が2名きてくれまして、素晴らしい発言をしてくれました。登別から来ている生徒は「余市は素晴らしいところだ、それをどう発信していくかが大切ではないか。そして、そのためにも北星余市をなくしてはいけない」と具体的に立派な発言をしてくれました。安河内先生にも地方創生の総合戦略の委員ということで、協力をいただいているところです。
私は、北星余市高校の入学式と卒業式、すべて出ています。この卒業式、ハンカチを忘れてはいけないというくらいの感動があります。北星余市を端的に知ってもらうなら、まず、卒業式を見てくださいといろいろな人に言っています。先生との絆、下宿のおじちゃんおばちゃんとの素晴らしい出会いと別れ、これをみていただくことでどんな場所かがわかってもらえるだろうと思っています。
そして、PTAの方々「この人たちおかしいんじゃないか?」と思うくらい、子どもたちが卒業しても今でも余市に来てくれて関わってくれるんです。例えば「代々木での北海道フェアに行きます」とFacebookで投稿したら、こぞってみんな来てくれて、余市の物産を買ってくれたり、私と一緒に記念写真を撮ってくれたりする。卒業してもいつまでたっても余市町を応援してくれるんです。本当に心強い仲間だなと思っています。
そうした状況の中で、皆さんの力を借りながら北星余市の存続を目指していきたい。学園としては財政的な問題が大きく1億円の赤字がのしかかっているといいます。それを余市町が補填すればいい、、、というわけにもいかない。余市町も財政状況的には難しいわけで、皆さんの知恵をいただいていきたいと思っています。

(平野)安河内先生どうですか?ここまでお話聞いてきた中で。

(安河内)北星余市高校は、言って見れば、ただ一つの私学です。しかし、そんな私学が、地元は勿論、本当にいろいろな地域、いろいろな立場の方に支えられているなとありがたく思っています。そうした関わりの中で出来上がっている教育の場でもあると思います。普通は高校生とすれ違っても「どこの高校生?」みたいな感じだと思うのですが、多くの大人が関わってくれる。そして、子どもたち自身も、最初は人との関わりが面倒臭いとか、怖いとか、そんなことを思いながら、でも心の片隅にある「人の関わりを大切にしたい」と思っている自分を信じながら学校生活を始めて、クラスの仲間、先輩後輩、寮下宿の仲間、同郷の仲間などさまざまな関わりの中で支えあって成り立っている。こうして、関わり合いの中で成り立っている場所は、誰かが作ろうと思ってできるものじゃないと思うんですね。そこに集まった人たちが、関わりの中でつくりあげられたものなんだなと思っています。一度なくなってしまうと同じものは無くなってしまうなと思います。それはとても大きな損失だと思っています。なくさない努力を全力でしていきたいと思っています。

 

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会場から寄せられたご意見

◯僕は北星余市の4代目の校長でした。今日は関係者の皆さんのいい話を聞かせていただいて感激しています。話の中に出てきた通り、本当に全国的にも稀有な取り組みだと私も思っております。教師と生徒の人間関係の中でひとり人が変わっていく、生徒会活動、ホームルーム活動、ボランティア活動、全国でもない民間下宿で指導すること、授業の研究なども北大との共同研究を一生懸命やってきました。北星余市の生徒募集の問題は、単に教職員だけの力ではなくて、父母や卒業生はもちろん、町長始め地域など非常に多くの支援の只中におります。そうしたさまざまな立場の人たちが理事会に対して「あと何年間か大きな力で生徒募集をやらせて欲しい」「どうしてもなくてはならない学校なんだ」と言っていくべきだと思っています。廃校報道があったあとで20人増えたということは画期的なことです。もっと大きな力で宣伝をして困っている子どもたちに北星余市高校の存在を伝えていったら増えていくかもしれない。僕はこの会を通じてそういうことを学びました。ありがとうございます。

◯北星余市高校で教員をしている塚原と申します。今日皆様の話を聞いて、本当にいろいろな人に支えられて北星余市があるのだなと再確認させてもらいました。うちの学校教育というのは一つの文化や生態系のようなものだと思っていて、普通の学校教育だけじゃなくて、社会教育、そして家庭教育というのが一体となったような、他の学校では展開できていない珍しい、絶対になくしてはいけない学校だと改めて強く思いました。みなさま、今日は本当にありがとうございます。

◯今日の話を聞いて、様々な思いが考察しておりますが、ひとつだけ。北星余市創設時期に関わって頂いた当時の余市教会の吉岡牧師のお父さんのことです。創設当時から少子化が見込まれている中で、募集何に陥ることを心配して質問したとき、吉岡牧師のお父さんは「先生、この学校は神様がお造りになった学校だから、絶対に潰れないです」とおっしゃられたんですね。それを言われてハッとしました。北星余市高校も、つい先だって、おかげさまで無事に50周年を祝うことが叶いました。次の50周年を目指してがんばらないと、吉岡のおじいちゃんにも怒られる、神様の意思にも反すると思っています。よろしく北星余市のためにご尽力ください。

◯やっぱり一番大事なのはここの学校が残るかどうかじゃなくて、ここの学校を頼っている子どもたちなんです。ここの学校がなくなったら大変なのは子供たちです。私は38年間下宿管理人として関わらせてもらいました。新聞とかテレビで募集停止が報道されたあと、こういう問い合わせがありました。「3年後に閉校という記事が出た。今年自分の子供を受験させようと思ったが、3年もたないで閉校してしまったらどうしよう。うちの子どもはどうなるんだろう」という心配です。タクシーの運転手さんにもいわれました。「閉校するんだって?」それは違うわけです。しかし、もう決まったかのように報道されている。私はそれを否定して、運転手さんにも「他にも同じように言う人がいたら否定してね」とお願いしておきました。卒業生からたくさん電話がきました。「学校なくさないでくれ、俺の帰る場所がなくなる。俺が変われた場所をなくさないでくれ」と頼まれました。去年の秋に新潟から卒業生から電話がきて「おばちゃん、家建てから遊びに来てくれ」と連絡が来て、最近遊びに行きました。そしたら、泣いてこう話すんです。「北星余市で変われた自分がいなかったら、今の自分はいない。自分の子供も北星余市に送ろうと思っている」。うちの学校は、先生たちのハートが違うんです。うちの先生方は非常に情が濃い。厳しく指導もしますよ、けど、そのあとのケアがすごくいいんです。だから、子ども達は立ち直るんです。北星余市に通っている子どもたちに悪い子なんていません、見た目が派手だったりいろいろありますが、本心から悪い子はいません。そういうことを知らないで「北星の子どもたちなら…」と後ろ指刺すようなことはしないで欲しいんです。みんな、イメージや噂だけでそういう風に言うんですが、うちの子ども達にはそういう子はいません。先生たちにとっても大切な子どもたちですが、私たちにとっても大切な子どもです。

◯今日は、音更町からきました。道議会議員をしています佐々木恵美子です。先日、文教委員会で質疑しました。「北星余市がなくなったら子どもたちどうなるの?それに変わる受け皿があるのかい?ないっしょ」って話をしたんです。北星余市さんとは、たまたま、私学助成の関係で毎年関わりがありました。生徒さんたちが署名を持ってくるんですね。一生懸命だなと思っていました。とあるきっかけがあって、それ以降、北星余市高校に年に1回か2回出向かせてもらって、生徒の様子をみています。見ている中で、北星余市は絶対に必要だと思っています。本来ならば、そういう受け皿をしっかり作ってもらわなければならないのにないわけです。だから、今日のシンポジウムはものすごく大事。理事会は相当厳しいと思います。理事者の方のお話聞いても、頑として譲る気がありません。私はまだ手があると思っています。生徒が減ってきた理由の一つに、通信制高校に入学している生徒が増えたということもあります。通信制高校に入っている子がいっぱいいますけれど、卒業証書もらっているだけで、立ち直れていない子どもたちがいっぱいいるんじゃないですか。この間の動きで北海道も動き出しました。この動き出したということを法人本部にしっかり伝えていって欲しい。お時間をいただきたい旨を伝えていただきたい。そして、皆さんの声を伝えていただきたい。北星余市に、なぜ、来てくれないのでしょうか。下宿代の関係でしょうか。そこが片付いたら来てくれるんじゃないですか。北海道だけでも1年間に何千人も中途退学している。そういう子どもたちの居場所にもなりますよ。その見通しがあると思っています。2年前、公立高校に入ったが、辛くなって北星余市高校に入学して元気に立ち直って通っている私の知り合いの生徒がいます。まだまだ手がある、頑張ればできる。下宿の皆さんも学校と連携して、地域のみなさん、全国のみなさんの力を借りながら、ピンチをチャンスに変えましょう。そういう激励に変えていきたいと思っています。頑張りましょう。

(平野)最後に一人お話しいただきたい方がいます。今日、この場に生徒会長さんが来てくださっていますね。

◯こんにちは。生徒会長の小林毘鞍です。昨日から生徒会執行部の今年度の活動に向けた合宿があって、先ほど帰ってきました。途中から参加することになってしまいましたから、わからない部分も多いんですけど、議員さんの熱い気持ちとかがあったり、存続のために厳しいことを言う人もいれば、胸の内をしゃべりあう会だったと思っています。今日、この場に来てくれている方には、北星余市のことをよくは知らないけれど、この状況も含め興味を持って来てくださっている方もいらっしゃると思います。そういう北星余市を知らない人にも、どんなところなのかが伝わったら嬉しいと思っています。よくこの機器的状況の中で「在校生は何している?」と言われます。僕が会長としてひっぱって行かないと思っていますし、絶対に廃校にさせてはいけないと思っています。そのときに町民の皆さんにも力を貸して頂く場面もあると思いますが、そのときはよろしくお願いします。

(平野)まとめです。最初に、入学生の方は最後まで卒業できるということははっきりせないといけないですよね。危機というのは、何か新しいことを生むときには必要なことだと思うんですよね。これがそういうきっかけになる場になって欲しいと思っています。自分のホームとして残って欲しいと言う人もいれば、日本の教育にとって損失になるんだという人もいて、それぞれの思いが語られたと思っています。
もう一つ言っておきたいのは、ここにいない方の語られていない声というのもあると思います。そういうものにも耳をかたむける必要があると思っています。北星余市に対して良い気持ちを持っていない人もいるはずです。そういう人たちの話にも耳をかたむける必要があると考えています。
最後に、北星余市に来てくれている生徒たちへの感謝を伝えたいと思います。もう一回信じてみたいと思ってくれて、入学してくれている生徒たちにです。そしてそうした子どもたちを支えてくださっている先生たち、管理人さんたちだけじゃなくて、今日はそうした北星余市を受け入れてくださっている町民の方にも改めて感謝を申し上げたいと思っています。
さあ、これからどうなっていきますかね。こういう会に参加させていただいて僕も嬉しく思いました。どうもありがとうございまいた。

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