「自分が一番やりたいことを目指したい」
「大人嫌いを癒してくれた北星余市での出会い」

2018.05.18 卒業生

明日へのメッセンジャー/48期・2015年4月卒

北川 愛理

KITAGAWA ERI

プロフィール

1997年3月生まれ 兵庫県出身。
2012年4月 北星学園余市高校入学。
2年生後期と3年生前期で生徒会長。
2015年 大阪の美容専門学校に進学。在学中、美容師国家試験に合格。
2017年 上京
現在メイクアーティストのアシスタントをしながら、プロとして自立する道を追い求めている。

「みんなに届いてほしい思いがある。目に見えない記憶として心に留めてほしい。目に見える形は必要ない。」そう言うと、卒業生代表の北川愛理ちゃんはその両手で持っていた答辞の白い紙を、びりびりと引き裂きました。北星余市高校第48期卒業式で、そんな型破りなパフォーマンスを披露した彼女でしたが、語る言葉は聴く者の心にひたむきに訴えかけるものだったのです。「ここから進む道、不安もあるが後悔はしない。」と答辞を締めくくった愛理ちゃん。あれから3年、彼女は実際どんな道を歩んでいるんだろう。その答えを求めて笹塚駅に向かったのは2018年4月29日の午後。改札前で迎えてくれたのは、ステージからメッセージを語る時のクールビューティーなイメージとは一味違う、人なつっこい〝えりスマイル〟でした。

(聞き手・PTA野口美加)

 

INTERVIEW

卒業生キラ星インタビュー

ーー 今日は忙しいところありがとう。時間大丈夫?

今日は仕事は休みで、夕方からアルバイトがあるだけだから大丈夫。

ーー どんなアルバイト?

飲食で、ワイン主体のイタリアン。仕込みから簡単な前菜の調理・ドリンク・ホール・レジ・締め作業・日報書き…

ーー 全部じゃん!。でも、本職は美容の仕事なんでしょ?

今は、プロのヘアメイクさんにアシスタントとして付いてます。メイクやカメラマンの世界では根強く残ってる師弟関係みたいなもので、給料が出えへんからアルバイトもしないといけない。バイトが終わって家に帰ると深夜1時半くらい。2時に寝て4時に起きて仕事っていうこともよくある。この2月から3月にかけては忙しくて4回泣いた。もう寝るのも起きるのもいややぁぁって(笑)。

ーー どっちかはしないとね(笑)。

仕事は、服のカタログとか雑誌、CMの撮影現場でモデルさんのメイクをする…のは師匠で、うちは荷物持ちとか準備や段取りの確認とか、モデルさんのマッサージも…。

ーー やること多いね。荷物も大きいの?

男の人でも一人では持ち上がらないくらいのキャリーバッグ。師匠がよく節約する人で、めったにタクシー乗らんから2キロくらいの距離でもめっちゃ歩く。もう、腕ぷるっぷる(笑)。

ー 根性あるねぇ。美容の道を目指そうと思ったのはいつから?

「最初は中学の時。でも、あの頃の自分だったら絶対耐えられへん。そもそも人と関わること自体が嫌やったし

小学校5年生の時いじめに遭った愛理ちゃんは、中学1年から不登校になりました。何をしても認められたり褒められた記憶がまったくないといいます。それでも運動は好きで部活だけはやっていたものの、腱鞘炎で走ることができなくなり、完全に自分の居場所を見失いました。その時知り合ったのが地元でも特にやんちゃなグループの子たちで、家に帰らずに一緒に遊びまわるようになったのです。

ーー 中学校はほとんど行ってない?

指折り数える程度。行っても校門の前で追い返されてたから。

ーー 追い返されちゃうの?朝行くと?

あんまり朝から行くことってなかったけど(笑)。派手なメイクもしてたし、服装も髪も規則違反だから学校に入っちゃ駄目だって。あの頃は大人がめっちゃ嫌い。母親に触られるのも無理っていう感じやった。

ーー 北星余市にはどうして繋がったの?

母親が中学生の時に北海道に住んでいたことがあって、知ってたのがきっかけ。中学が終わったら高校併願の美容専門学校に行くか、働いて一人暮らしをしたいって思ったけど、どっちも無理だって頑なに反対された。北海道旅行しようって言われて行って、気づいたら学校。なんで?って(笑)。でも、その時はいい印象しか受けへんかった。地元には自分の居場所がなかったし、北星余市は楽しそうと思った。

ーー 実際、入ってみてどうだった?

入学式もがやがやと悲惨なほど落ち着かんし、まず周りを見下すところから始まった。同じ寮の中でも一人で行動出来る子がいなくて、みんな私の部屋に集まって来て消灯時間を過ぎてもずっといる。学校でもトイレまで一緒について来る。一人の時間も欲しいのに。それがけっこう精神的にきつくて、入学から一週間くらいの時に授業中なのに泣いてしまった。一回寮に帰って、部屋で一人になった。そんな状態のうちをひーちゃん(寮母さん)が丸ごと受け入れてくれた。

ひーちゃんは、愛理ちゃんの大人嫌いを改善に向かわせてくれた最初の大人。何でも安心して話せる、友だちのような母親のようなその存在は、彼女にとってとても大きなものでした。ただ、それ以外の大人たちに心を開くまでには時間がかかったようです。

ーー 友だちとの関係は?

誰とも関わりたくない、3年間一人でいいっていう気持ちだった。そうしたら、うちの部屋に住みついてるような友だちが心配して…まぁ、その時は『いや、おまえが原因だよ』って思ったけど(笑)。うちが弱音を表に出さないのがさみしいって、助けてあげたいのにそれ以上踏み込めないのが辛いって、泣きながら言ってくれて…。その時、自分が壁を作ったせいで一緒にいる時間が苦痛になってたんだって気づかされた。そこからかな。寮の中で、友だちやひーちゃんとたわいのないことや悩み事も話せるようになった。ひとに頼るっていうことも学んだ。

ーー 生徒会長になったのはどうして?

2年生になってからも悩みや辛いことがあったけど、友だちや先輩たちが助けてくれた。その分返したい、みんなのために何かしたいっていう思いがあった。2年生の後期から生徒会長になったけど最初はなかなかうまくいかなくて、孤独を感じた時期もあった。でも、ひーちゃんが夜な夜な話を聴いてくれて、自信をつけさせてくれた。振り向いたら後輩たちがついて来てくれてたり、みんなが支えてくれていることに気づけた。2年生が終わる頃は反省点が多くて、3年生になったら悔いが誇らないようにやろう、伝えたいことは全部伝えようって思ってた。その時、新しく生徒会顧問になるせおちゃん(妹尾先生)が寮に話をしに来てくれたのも思い出に残ってる。せおちゃんとは、お互いの考えを深いところまで掘り下げて話せるようになっていたと思う。

最上級生となった愛理ちゃんは、生徒会長としての任期を全力で走り抜けて後輩にバトンタッチしました。それから2ヶ月後の11月、再び生徒代表としてメッセージを発する機会が巡って来たのです。それは、開校50周年記念式典の中で、約300余名の出席者を前にしての『喜びの言葉』です。
「思春期の不器用なつぼみたちは、一般社会の中では存在を消され、何がダメなのかもわからないまま枝を折られていきます。」「北星余市はそれぞれの個性、自己表現を大切にする学校です。」「多くのつぼみたちがそれぞれの場所で花を咲かせています。」
 式典当日、北星余市の教育の特色と成果を讃える言葉を紡いだ後、愛理ちゃんは〝学校への問題提起〟をも口にしました。
「多くの月日の中で、大切なことを忘れかけていませんか?」

愛理dのコピー

ーー ああいうのって、原稿を書いて事前に先生にも見せるんだよね?

そう。あの時はとおるちゃん(田中教頭)とやっさん(安河内校長)が確認してくれて、『愛理の言いたいことを話してくれていいよ。』って認めてくれた。自分自身、信頼出来る大人はひーちゃんだけで、先生たちに対しても心の中で壁を作ってた時期もあったし、例えばそういうことにもっと気づいてほしい、生徒一人ずつにもっと目を向けてほしいっていう思いも、あのメッセージに込めていた。後でけっこうな議論にもなったみたいなんやけど。

式典の後、教職員の間で「あの場であれを言わなくても…」という声もあったといいます。しかし、「そこに蓋をしたままスルーしたら北星余市ではなくなる」と、職員会議で前向きな話し合いが持たれたのです。

考えたら、自分自身への問い掛けでもあった気がする。生徒会長をやりながら、一人一人に本当に目が届いていた訳じゃないと思うし。でも、あそこで先生たちが初心に帰ろうって考えるきっかけにしてくれたなら、嬉しい。

 

ーー 卒業式では答辞を破いてたよね。あんなことしていいの?(笑)

あぁ、あれもとおるちゃんに話をしてて。答辞ってそれなりに長いから、途中で飽きさせないように何かあった方がいいと思って。

ーー 聴く側の集中力にも配慮したってことね。

最初は『これ、燃やしたらあかん?』って聞いたら『セコムが来るからだめ』だって。

ーー そりゃそうだよ。

でも、(熊谷)唯先生と1回試しに燃やしてはみたんやけど。

ーー え?実験はしたのか(笑)。

そう。で、よく考えたら当日振袖やなぁって気づいて、『それごと燃えるよ』と。じゃあ、破りますって(笑)。

こうして迎えた卒業式当日、インパクト充分なそのパフォーマンスもさることながら、愛理ちゃんの答辞は友だち・先輩・後輩・家族・寮母さんらへの思いに溢れた素敵なものでした。「少年の心を持った先生方」という表現もありました。ひーちゃんとの出会いはもちろん、そんな先生たちとの触れ合いが、深刻な大人嫌いだった彼女の心に少しずつ変化をもたらしてくれたのかもしれません。

ーー 卒業後は大阪の美容専門学校に進学だよね。

美容の道に進むのは、北星余市に入学した時から決めてたことやから。最初は美容師を目指すつもりだったのが、メイク主体の方に移っていって、だったらやっぱり東京が一番やから、専門学校を卒業した後は親を説得して上京した。

ーー せっかく美容師の国家試験に合格したんだから、有名な美容室に就職して髪の技術も磨きながらメイクを勉強したらどうかって私がアドバイスしたことがあるんだけど、あくまでメイクをやるっていう愛理ちゃんの意志は揺るがなかったね。

自分が一番やりたいいことを目指したいだけやから。いずれはメイクアップアーティストとして独立したいし、教える側の立場にもなりたい。ただ、今は少しでも多く現場に立ちたいっていう想いの方が強いかな。流行の移り変わりも早いから、テレビや雑誌をめっちゃ見るのも、百貨店の化粧品売り場で新商品のことをめっちゃ質問するのも、全部が勉強。

ーー 北星余市の3年間が今につながってることってある?

北星入学前と今とで何が変わったかって言ったら、こうやって大人の人とちゃんとしゃべれるようになったこと。目上の人からいろんなことを吸収したいし、自分に自信が持てるようにも…なってる?(笑)

ーー なってるよぉ(笑)。話を聴かせてもらってよくわかった。今日はありがとう。

 

やりたいこと、やるべきことにまっすぐ向かおうとする愛理ちゃんに対し、私はどうしても母親的な考えで心配したり意見を言ってしまいます。でも、本人の目にはまた違った未来の景色が見えているのですね。それを信じて、これからも見守っていきましょう。まだ始まったばかりの彼女の夢への道を。

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