■自分が嫌なことは断る。それを理解してくれるのが「友だち」と呼べるんじゃないかと思う。僕は場の空気を読むのは苦手じゃなかったけれど、読んだ空気に流されることも多かった。これじゃあいけないと、地元を離れ北星余市に来た。自分の持論として、年上でも年下でも、友だちというからには対等でなければいけないと思う。余市には色々な人が通ってきているから、お互いを‘察する’伝統がある。
■察すると言うことは、空気を読んで曖昧にすることなんかじゃない。その人が嫌なことを「嫌だ」と言ったとして、その背景を考え、理解することだ。だから、北星余市は、ハブ(仲間外れ)を嫌うし、今まで、話すことも無いと思ってたタイプの人が、大切な友達になることも多い。普通の高校では得られないような、自分の武器になることがここには沢山ある。。
■僕は今、大学で社会福祉に携わる人を育てる学科で学んでいる。社会福祉は、やりがいのある仕事だけれど、制度がまだまだ未成熟だ。「それっておかしいんじゃないか?」と思うこともたくさんある。まあ仕方ない…という空気もあるけれど、それに流されていたのでは、そこに「自分」はいない。自分の人生の主人公は自分だけだ。主人公が活躍しない物語りなんて、他人から見ても、自身も面白いわけが無い。だからたとえこの先「おかしい」と思うことがあっても、ただ流れに乗せられるんじゃなくて、自分を持っていこうと思う。生きる上で‘察する力’が大切なんだと思う。
(北星学園大学社会福祉学部福祉計画学科2年)
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